竹内銃一郎のキノG語録

南吉にまつわる思い出をたどる  「わたしの背中の殻には悲しみがいっぱい …」③2015.05.11

「でんでんむし~」に触れて、思い出したことがあった。南吉の童話の中ではもっともポピュラーなものであると思われる「ごんぎつね」を、わたしは演じたことがあったのだ。

それは小学校4年の時。担任の杉浦先生は、国語と道徳の時間の大半を「芝居作り」にあてるという、今にして思えば、暴挙を敢行。クラスを幾つかのグループに分けて、私たち生徒に芝居を作らせたのだった。学期ごとに一作だから一年に3本。クラス全体で15~20本! わたしはいずれも作・演出、時には主演をつとめ、主題歌も作った。演目は、「田村くんのホームラン」(オリジナル)、民話の「ねずみの嫁入り」を劇化したもの、それに、「ねずみたちが巨大猫を倒す話」を劇化したもの。ずっとそう思い込んでいたのだったが、前述のように、「ごんぎつね」も上演したから、実は年に4本も上演していたのだ。

後年。大和屋さんがそのシナリオの何本かを担当された、TVアニメの「ガンバの冒険」(傑作!)は、先の「ねずみが巨大猫を倒す話」と、猫が白イタチに変わっている以外は、ほぼ同じストーリーだったので、これまたずっと、師と弟子が同じネタ元を使って作品を作ったのだと思っていたのだったが、さっきネットでそのネタ元を探してみたのだが、よく分からない。「ガンバ~」は、斉藤淳夫の原作で1970年に発表されたものらしく、「巨大猫」の劇化はわたしが小4というと57年だから、これはネタ元ではなかったのだ。イソップ童話の「ねずみが猫の首に鈴をつける話」をもとに、杉浦先生が創作してわたしたちに聞かせたものだったのだろうか? 先生はほぼ毎日、朝のホームルームの時間に短い民話や童話を読んでくれた。その中に「ごんぎつね」もあり、そして時には、先生のオリジナル作品も入っていたのかもしれない。

「ごんぎつね」はこんな話だ。いたずらなきつねが、自らのちょっとしたいたずらのために、兵十という男の母親が亡くなったことを知り、その罪滅ぼしのために、毎日のように男の家に食べ物を届ける。ある夜。男は自分の家に入っていくごんを見つけ、また悪さをしにきたかと勘違いをして、鉄砲で撃ち殺してしまう。

この衝撃的な結末を、子どもだったわたしは、「悪いことをすると罰があたる」のだと、いかにも優等生らしく、教訓的に受け止めたような気がするが、久しぶりに読み返してみると、母親を亡くした兵十は自分と同じひとりぽっちになったのか …とごんが嘆息する件があり、こういうところがいかにも南吉らしいと思う。ラストシーンは、以下のように描かれている。

「ごん、お前(まい)だったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口(つつぐち)から細く出ていました。

先に記した「教訓的な見解」とは明らかに異なるこういう件を、子どものわたしは、本当はどう受け止めたのか。うっすらでいい、「自分の思いが他人に正当に理解されない哀しさと不条理」の欠片くらいは感じていたはず、と思いたいのだが。

 

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