竹内銃一郎のキノG語録

劇作の労苦について①2015.11.03

どうも風邪を引いてしまったようだ。4、5日前からからだがだるい。日常生活を送る分にはさほどの支障はないのだが、「特別な力」を要する執筆作業となると、そうはいかない。只今執筆中の「ランドルト環」。今月中に15~20枚を書き上げ、来月中に完成、という腹積もりでいたのだが、そんな次第でここへ来て停滞している。

いまは1枚を40字×38行で書いている。今回も上演時間を100分程度と考えているので、この書式で書くと、完成原稿は45~50枚。1日1枚書けば、2か月以内に出来上がると、こういう計算だ。

1日1枚? そんなの楽ショーじゃん、と思うあなたは素人。1日1枚? おまえは小役人か? 書けるときにガーッと一気に書くのがプロの作家だろ、と思うあなたもやっぱり素人。ま、わたしも昔はそう思ってましたが。否応なく(?)経験を積んで、ペース配分をきちっと守るのが結局早道であることが分かったのです。そのためにもっとも大切になるのは体調管理なわけですが、今回はそれにちょっと失敗してしまったという …

もちろん、2か月で完成というのは、あくまでも書き出しから数えてという意味で、その前に準備期間というものがある。昔はこれに時間がかかった。

自慢じゃないが、わたしは知識・教養がない。おまけに、負けず嫌いで臆病ときているから、なにか書いて、誰かから間違いを指摘されることが怖いし嫌なのだ。だから、書き出す前に(書いてる途中も)、いろんなことを調べなければならない。今回で言えば、19世紀末ロシアの政治的経済的状況、ホモサピエンスの起源、というような大きなことから、獣医という仕事の困難、ロシアの気候、ボルシチ、ピロシキ以外の代表的なロシア料理は? 等々の細かいことまで、いちいち調べる。その大半は、戯曲全体にとってさほど重要なものとも思えない、ひとつの台詞を成立させるためとか、結局は使わずに終わるものだったりするのだが、昔は、その資料集めのために、図書館や古本屋等に通っていて、それに費やされる時間は結構なもので、もちろん、手に入れた本を読むにもそれ相当の時間がかり、だから準備期間は、執筆時間の数倍は要したのだった。それが今では、PCでネット検索すれば、チョチョイのチョイで必要な情報を入手出来る。本当に知りたいことにはなかなかお目にかかれないのだが、それは本に直接あたっていた時だって同じで、最終的には「事実」とは違う「大嘘小嘘」で不明箇所を乗り切るわけだが、しかし、ある程度資料にあたらなければ、大嘘小嘘さえつけないのだ。  (この稿続く)

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