竹内銃一郎のキノG語録

この徹底した慎ましさはなんだろう?! 殿井歩の「ユートピアだより」を見る2015.12.26

パンチの威力はモスキート級で、それこそ蚊に刺された程度のものだが、一発一発は的確にしかるべきところに当てられていて、劇の半ばを過ぎるくらいからじわじわと効いてくる。以前に告知した殿井さんの芝居、「ユートピアだより」のこれが感想である。

いわゆる「静かな演劇」の系統に入るものだといってよかろう。といって、実際にわたしが見た「静かな演劇」は何本もないし、そもそも「静かな演劇」の定義もないのだから、いい加減なものなのだが。ずいぶん前に、平田オリザのなんとかって芝居を見て、あまりの退屈さに我慢が出来ず、始まって10分ほどで席を立ってしまったことがある。もうひとつ。これは10年ほど前だったか、京都で地点の「ワーニャ伯父さん」を見て、これまた我慢がならず、10分で出ようと思ったのだが席が狭くて外に出られず、二重三重にイライラさせられたことも。しかし、殿井さんの「ゆーとぴあだより」は。

登場人物は女性3人男性2人。男性は劇の始まりと終わりに少し出るだけだから、ほぼ女性3人の芝居だが、この3人の女性の声がまことにか細く、この中のふたりが掴み合いの喧嘩をかなり長時間するのだが、ほとんどサイレント。この喧嘩の最中に、もうひとりの女性の大事な<木魚>がテーブルから落ち、そのもうひとりの女性がかなりの勢いでふたりに対して抗議の声をあげる、と戯曲を読めば誰でもそのように理解するはずだが、これまた実に慎ましやかな怒りの声。ここまで徹底されると、これはただの「静かな演劇」ではないと思わざるをえない。

公演場所は30人も入れば一杯の手狭な空間で、当然のように舞台と客席のしきりはなく、まさに客の目と鼻の先で劇は進行する。それもあるのだろう、知らないひとは即興でやっていると誤解するかも知れない生々しさ。わずかな知識がもたらす偏見であることを承知で書くが、平田氏や三浦氏の芝居のような小賢しさが、この芝居には微塵もない。戯曲は、これが実質的な処女作だと言われても、おそらく誰も信じないであろうほど巧緻に書かれていて、いつどこでどのようにしてこんなに高度な技巧を身につけたのかは知らないが、明快な彼女なりの方法論を感じさせる。しかし、演出は? どこまで意識的なのかそうでないのかは分からない。しかし、これまたこの空間でこの戯曲を上演するのはこの方法しかありえないだろうと思わせるものだった。

少なからずのショック。十分に焼き上げられているとは思えないのに味わい深いパンを食べたような。この種の芝居がいまもどこかでひっそりと、わたしの知らない人たちによって作られているのかもと想像すると、絶望的とも思われたこの国の演劇の先行きに、微かな光が見えるような気持になるのだが。

明日もお昼と夜に公演があります。お時間ある方は是非お出かけを。

 

 

 

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