竹内銃一郎のキノG語録

今年の抱負  戦火に包まれて …?  2016.01.06

年が明けて3日から毎日、録画しておいた「映像の世紀 デジタルリマスター版」を見ている。20世紀は戦争の世紀であったことを改めて思い知らされる。おびただしい数の死体がこれでもかとばかり出てくる。兵士の死体が木製の荷車に山積みされる映像にショックを受ける。それが、「名誉の戦死」という美辞麗句とはほど遠い、厄介な生ごみ同然のモノ以外ではないことに。

4日。散歩がてらに、競馬にご縁があるらしい藤森神社に出かける。徒歩25分。境内に置かれている馬の銅像の右前脚をおさすりしたが、翌日5日の競馬は惜敗。惜敗にとどまったのはおさすりのご利益だったのかもしれない。

祇園四条に出て、本屋をのぞき、数冊の本を購入。年末のヤフーニュースに、出版業界の売り上げ激減とあり。書籍部門は又吉の「火花」の大当たりがあって前年よりも少々増だったらしいが、雑誌部門が惨憺たる状況であったとか。確かに、自分のことを考えても、雑誌はまったくといっていいほど買わなくなった。文芸誌なんてもう20年以上も手に取ったことすらない。演劇雑誌など本屋に置かれてもいない。購入したのは、加藤典洋の「戦後入門」(ちくま新書)、山本義隆の「私の1960年代」(金曜日)、それに、ともに「現代思想2016年1月臨時増刊号」の、「パリ襲撃事件」と「見田宗介=真木悠介 未来の社会学のために」の4冊。先に、20世紀は戦争の世紀だったと書いたが、「パリ襲撃事件」を読むと、いまもなお戦争状態が途絶えることなく継続していることがよく分かる。そう、アレは紛れもなく「戦争」なのだ。

去年は開店休業状態が続いた一年だったが、今年は3月に「ランドルト環」がMODEによって上演され、7月にはA級MissingLinkの「或いは魂の止まり木」の演出があり、11月には「あの大鴉、さえも」が、東京芸術劇場のプロデュースで上演される。もっとも、これはわたしの戯曲をもとに、ノゾエ氏が台本化するらしいのですが。来年は70に手が届く年齢になることを考えれば、このようにお仕事をいただけることは、ありがたいことこの上なく。とはいえ。まだまだもう少し出来るのではないかとという、自分自身への期待もあり、ついでに書き添えれば、無年金者であるという不安もあり。

ブログでは簡単に触れるにとどめたが、去年見た、ケン・ローチの「この自由の世界で」(2007年公開)が気になっている。推定年齢アラフォーのシングルマザーが主人公。働いていた私設の職業斡旋所を不当解雇された彼女は、自分で同様の会社を立ち上げるが苦戦が続く。しかし、客をまともな職に就けない移民・難民に特化してから営業利益は一気に上昇。それは、食うために、不当とは知りつつ、自分よりも弱者からあこぎなピンハネをしたから可能になったのだった。当然のように、彼女は彼らから報復を受ける。そして …

というわけで(?)、目下、テロリストを主人公にした話を構想中。

本年もよろしくお願いします。

 

 

 

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