竹内銃一郎のキノG語録

上演まかりならず2013.10.16

面倒が重なっている。
担当している、2年生の実習授業の発表会の予定演目の上演許可がおりず、演目変更を余儀なくされることになってしまった。
学生たちがツイッター等々でもう宣伝しているらしいので、わたしたちが予定し稽古もしていた演目がなんであり、誰が上演を認めなかったのかは調べればすぐに分かることだけれど、一応ここでは明らかにしないでおく。
ここでも何度か繰り返し書いてきたように、発表されてしまったら作品はもう作家個人のものではなくなる、とわたしは考えている。むろん、規定の上演料を払わなければいけないのだけれど、それとこれとは話が別だ。
今回の場合、作家は長く病気のため入院されていて、上演許可不許可は作家の奥さんが引き受けているようだった。(交渉にあたったのはわたしでなく学生)
作家とはそんなに親しいわけではないけれど、顔を合わせれば挨拶以上の言葉を交し合うような関係で、いろいろお世話にもなったが、奥さんはまったく知らない。
上演しようと思った作品は、出演者の人数からそのまま上演するのは困難で、人数をあわせるために同じ作者の別の作品の一部を加え、それにともなって、オリジナルの何割かをカットした。
改めて書くまでもないが、単に人数あわせのためだけにそのように改変したのではなく、改変によって作品はさらに活気づき、さらには、作家の核にも迫りうると判断したからそうしたのだ。
もうずいぶん前になるが、やはり高名な作家のあまりにも有名な戯曲の上演を拒否されたことがある。
この高名な作家とも、ごく短期間だったけれど親しくさせていただいた時期があったのだが、上演を企画したときはすでに亡くなられており、なので、著作の管理は娘さんが引き受けていたのだった。作家がご存命なら上演拒否どころか、どうぞどうぞと歓迎してくれたはずだ。
今回もまったく同じで、作家と連絡がとれたら、間違いなく「いいよ」と言ってくれただろう。
はっきり書くが、上演を拒否した女性おふたり、度し難いやつ等! と言うほかない。 確かに管理をまかされ、その責任をまっとうしたいと思うがゆえの返答だったのだろう。でも、あんたらが書いたわけじゃないでしょ。「わたしにとっても大事な作品なので、安易な書き換えを認めるわけにはいかない」って、なに? 私物化っていうんですよ、そういうの。
あんた(ら)の頑迷さは作家にとっても作品にとっても、百害あって一利なし。
あえて口汚く、誤解を恐れずに言えば、著作の管理は、上演するところからはちゃんとお金をとる、それだけやってりゃいいんですよ。あんたらに上演の可否の判断・権利まで、作家は任せてるわけではないんじゃないの?

このところリメイクされた作品がいかにひどいかを書いてきた。だけど、まあ、こっちの勝手な思い込みであることを承知でいえば、「東京家族」みたいなトンチンカンな作品、たとえ学生による上演だって、絶対作らない自信はあるのだけれど ……
度し難いひとたち。別役さんの戯曲の登場人物ではないけれど、自分を善意のひとと思い込み、自分の行為・判断に間違いなどありえないと思ってるから、なに言ったって通じないんだ。
古いけど、こういうの「バカの壁」って言うんですよね。

一覧