竹内銃一郎のキノG語録

原理原則2014.01.20

今月末に引越さないといけないので、目の回るような忙しさ。
で、先日、住民票をもらうべく布施にある行政センターに行ったら、市外のものは運転免許証かパスポートの提示がないと出せないといわれる。保険証と顔写真付きの勤務先の身分証明書ならあるがというと、国が発行してるものじゃないとダメだという。
おたく知らないと思うけど、俺、国から勲章貰ってる男なのよ。それなのにダメなの?
なんてもちろん言わなかったが。免許証もない、パスポートもない人間は、市民・国民として認められない、と。 これは国の決まりで、相手が誰であろうと厳守しなければならないことなのだろう。
そう、中国の映画監督のチャン・イーモーが、一人っ子政策に反して子供が何人もいるってことで、大層な罰金をとられるらしいが、あれと同じだな。

チャン・イー・モーみたいな偉いひとのタネはより広く多く蒔かれた方がいい、何人子供を作ったって構わないなんて、そういうのははやっぱりよくない。
みんな平等でなくっちゃ。

 
誤解される向きがおられるかもしれないので、念のため前回の補足を。
わたしは、若いひとが作るものならなんでもいい、なんて言ったわけではない。見たことがないA,B2本の芝居があって、Aを若い多くの人たちが支持していて、Bを片足を棺おけに突っ込んでるようなオールドタイマーの評論家たちが支持しているとしたら、わたしはAの方を選ぶ、と言っただけなのだ。
だから、多くのひとが指示し、客が入ってる芝居はいい芝居だ、と言ってるわけでもないし、客が入ってないからダメな芝居だと言ってるわけでもない。ただ、上記の条件の中でどっちを選ぶのか、という話をしただけなのだ。
いきなり話題変更。分かりやすいものって結局脳に刻まれないのだ。
10月にA級Mで上演予定の台本を書くために、目下、中国問題について勉強中で、先日、寺島実郎というテレビでもよく見かける経済評論家(?)の「大中華圏」を読了。わたしたちは今、中国だけでない、香港、台湾、シンガポール、華僑を含めた大中華圏としての「中国」を問題にしなければならないのだ、という本の主旨はよく分かったのだが、結局書かれているのはそれだけのことで、それだけのことをいろいろな数字を使って解説しているだけなのだ。2時間ほどで読み終えてしまった。 これはどういうことかと、頭を捻らせる手間隙をかけさせてくれるものじゃないと、ほんと、読むだけムダなのだ。
以下は知人の話。劇場の招待席は、いうなれば特等席で、大きな劇場だと真ん中の通路にある席がそれに当てられる。もちろん、その席がいちばん見やすいからだが、客席から舞台が見やすいということは、舞台からもその席がよく見える、ということでもある。
前述したように、演劇評論家と称する人々のほとんどすべては老人と呼んでいいひと達で、みんな人生にお疲れになっているからであろう、よくおやすみになっているらしい。それがほんとによく見える、と。
劇の大半は寝ていたにも関わらず、よかったのよくなかったのと、まあよく書けるよね、という話なのだが、それもまた芸のうちなのだろう。
よく寝てるひとたちが称賛してるってことは、寝ててもよく分かる、その程度の芝居ってことになりはしないだろうか?

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