竹内銃一郎のキノG語録

解説も解釈もいらない。  「かごの鳥」を書きながら② 2016.11.24

「かごの鳥」が上演されたのは、1987年の1月だから、書かれたのはちょうど30年前の今頃だったのだろう。これだけの歳月を経れば、どんなおバカさんでも腕を上げる。しかし、腕を上げる、即ち、技術的な進歩によって、失われてしまいがちなものがある。それは初々しさだ。「初々しさ」とは「ぎごちなさ」と同義語である。小さな子供は例外なく可愛いと言っていいが、なぜそのように思うのかと言えば、彼らの言動のひとつひとつが、大人の眼から見ると、ぎごちなく(ということは初々しく)感じられるからだ。大人の眼とは、社会(的常識)の要請を意味するもので、だから、技術的進歩とは社会(的常識)の要請に応じた結果であり、初々しいとは、社会(的常識)に染まらずにある、ということだ。技術的進歩を遂げながら、なお初々しくあるということは可能だろうか。当然のことながら、30年前には知ることのなかった知見は多々あり、そこから生まれた、わたしなりの新たな発見も少なからずある。可能性はそこにしか …。

Pe そんなに長生きしてなにかいいことあるのかしら。 ①Ha なんだ、そのうつろな眼差しは。 Pe もしかしたらわたしの人生は、あの日あの時にもう終わっているのかもしれない。 ②Ha こいつ、てんで臭そうな話を始める気だな。 Pe それは今から八年前。 Ha ペンが十七?  Pe あのひとが二十と三つ。 Ha 恥ずかしながら青春だい。 Pe 若すぎたのよ。焦っていたのね、ふたりとも。人目を忍んで会うのだけれど、会えば別 れが辛くなり、会わなきゃ余計に辛くなる。  Ha ああ、コリャコリャと。  Pe いつもふたりで一緒にいたい。早く結婚してしまいたい。  Ha そりゃ無理よ。だってあなたは弱冠十七。  Pe おまけに彼は貧乏学生。周囲に相談したって反対されるにきまってる。  Ha そこで?   Pe 駆け落ち。  ③Ha 待ってました、ご両人!  Pe 上野発十八時0五分、青森行き。  Ha なんで青森?  Pe ふたりで雪が見たかったの。  ④Ha 寒いよ~。

(ちょっと読みづらいかと思われますが)これはいま書き進めつつある「かごの鳥」の、真ん中を少し越えたあたりで、番号がふられているはっぱ(Ha)の四つの台詞は、書き換えたところ。原本ではどうなっていたかというと

①鋭いつっこみ。 ②要するに、その日その時に雨が降っていたってわけね。 ③定石通りね  ④若いなあ

となっていて、涙ながらに(?)忘れ得ぬ思い出を語るペン(Pe)に対して、時々、相槌めいた茶々を入れるという、はっぱの基本姿勢は変わらないのだが、すでにお気づきの方はお気づきのように、原本のはっぱの茶々は、ペンの台詞の単なる説明・解説と言っていいものだが、書き直したものの方では、説明・解説者的な、つまり、遠く離れた傍観者的位置から、ペンの話の中に強引に割り込んで、結果、ふたりの(心理的な)距離は、互いの鼻と鼻とがぶつかりそうなほどの至近距離になっている。やりとりする者たちの距離を測りながら台詞を書くこと、そして、台詞は解説・説明に留まることなく常に批評的であれ、というのもこの30年の間に得た知見のひとつだ。

書き直しと言うと、上から目線の添削かと思われる方もおられようが、そうではない。書いていると、30年前の自作から現在のわたしが試されているような、そんな恐ろしさを感じることがあり、これもなかなか前に進めない理由のひとつなのだ。

 

 

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