竹内銃一郎のキノG語録

名優たち② 2017.04.12

人々=世の中が、感情的・感傷的傾向に走るのはいまに始まったことではないが、それを増長させているのはマスコミで、マスコミが例えば、浅田真央の引退を執拗に繰り返し取り上げるのは、煽情的といってよかろうネット文化の巨大化のせいだろう。対抗上そうせざるをえないのは分かるが、もう少し冷静な大人になれないものか。あろうことか、昨日の日テレ系の夜のニュース番組「ZERO」では延々30分くらい(推定)を彼女のために割いていた、米軍の原子力空母2隻が朝鮮半島を目指し、シリアをめぐる米ロの対立が緊張感を増している(らしい)というのに、それらを差し置いて。どう考えたって異常だ。危機感を煽りたてるようなそれらの報道も同様で、「専門家」連中は明らかに興奮している、その様はまるで戦争勃発を待望しているかのよう。危機感を煽りたてるといえば。昨日だったか一昨日だったか、ポテトチップスが店頭から消えるかも?! なんてニュースにもかなりの時間を割いていて呆れた。ポテチがなくなると暴動が起きたり、餓死者が何万と出るわけですか?

なんだろう、この空しいから騒ぎ状態は? 以前にも同じようなことを書いた気がするが。稀勢の里といい真央ちゃんといい、スポーツ(選手)が以前にもまして、必要以上に持てはやされるようになったのは、おそらく、ものの良し悪し、大小軽重の判別が出来にくい世の中になっているからだろう。そこへいくと、優劣を数値化して明解に示してくれるスポーツは、自分の判断(力)を問われないですむから楽ちんなのだ。そしてこの、言わば世を挙げての躁状態が、一方で鬱病を抱える人々の増加を促しているであろうことも、間違いのないところである。

「オレゴン魂」で主役を演じるジョン・ウェインは、若い人はともかく、一定の年齢以上のひとなら誰でも知ってる大スターだが、J・フォードやH・ホークス等が撮った数多の名作傑作に出演しているのに、演技者としての評価は低く、デヴューから数えて40年目、「勇気ある挑戦」でのアカデミー賞、ゴールデングローブ賞が初めての演技賞受賞である。スポーツと違って俳優の優劣の判定基準はひとそれぞれで、だからこういうことになるのだが、これは、芸術・表現に関わるものの受賞歴などあてにならない、という厳粛な事実の分かりやすい例でもある。

ジョン・ウェインの演技は上手下手を超えていて、「スター」と呼ばれるのはそれがゆえだ。彼がそこにいる、彼が笑う、彼が銃を抜く、ただそれだけでわたしたち観客を幸せな気分にしてくれる。しかも、「オレゴン魂」はキャサリン・ヘップバーンとの漫才まで見せてくれるのだ。こんな贅沢な時間の過ごし方があろうか。そう、街ゆくひとが、浅田真央や羽生結弦に「元気をもらった」なんてインタヴューに答えていたが、J・Wは幸福な気分にしてくれる。そこがいいのだ。因みに、この映画は先に挙げた「勇気ある~」の続編だが、「勇気ある~」と同じ原作で作ったコーエン兄弟の「トゥルー・グリット」は、まことに精妙かつ洒脱な映画でわたしはとても感動し、最後には滂沱の涙まで流してしまったのだが、それは単に映画の素晴らしさゆえでなく、そこにいるべきジョン・ウェインがいなかったからでもあったのだ。

昼のニュース、ワイドショーでは、延々と真央ちゃんの記者会見が中継されていた。チャンネルを変えれど変えれど真央ちゃんで、わたし、吐きそうに!

 

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