竹内銃一郎のキノG語録

ハル子さんの思い出2010.08.18

明け方に、おかしな夢を見た。
場所は、窓から海が一望できる旅館。今月末に小倉へ競馬をしに行くべく、ネットで予約したホテルの謳い文句が、全室から海が一望できて、とあったからかと思われる。
わたしが海を見ていると、ハンダさんが浴衣を着て登場。ハンダさんとは、その昔、自主映画で競演した俳優さん。
因みに、わたしはその映画では、プロデューサー補佐兼助監督兼出演者。冬の伊豆大島にロケに行って、雪の降るなか下半身を丸出しにして踊り狂っております。いや、そんなことでもしないと寒くて寒くて。なのになんで下半身剥き出し? だから、狂ってたんですよ。
それはともかく。ハンダさんは奇妙なひとで、というか、彼の喋ることの大半をわたしは理解できなかったわけです。詩的なというか哲学的なというか、とにかく、普通の、日常的な、さりげないことなんか一言も口にしない。なので、わたしは彼に畏敬の念を抱いていたというか、ま、コンプレックスを感じていたわけです。自分はあまりに普通すぎやしないか、と。そんなわけで、彼はよくわたしの夢に登場するのですが。
二言三言、なにかふたりで話したように思うのですが、なんかわたしの下半身が気持ち悪い。彼を見ると、口からなにか焼肉のタンみたいなのがべろっと出ている。咄嗟に、あ、こいつ、吐いたな、吐寫物を俺の背中から流し込んだなと、わたしは思う。と、背中から下半身にかけてヌルヌルを感じ始める。そんなことをしておいて、悪びれることなく平然となにか話しているハンダさん。わたしは抗議するどころか、着替えがない、明日どうする? とそんなことばかり考えていて、その普通さを情けないなと思った途端に目が覚める。
枕元の時計を見ると、キッカリ7時。なんで? 昨日もその前も、目が覚めるとはかったように7時なのだ。これってすごくないですか?
それから水分補給をして、また横になる。眠ったわけではない。なぜか小学校のときクラスメートだったハル子さんのことを思い出す。
ハル子さんは、わたしが初めて手紙なるものをもらったひと。年賀状だったんですが。いまでもなぜ返事を出さなかったのかと申し訳なく思っている。
ハル子さんについては、他にふたつ、忘れられない思い出がふたつある。
ひとつは。ある日、教室に彼女が子供をおぶって来たこと。妹だったのかな、まだ赤ん坊だった。母親によんどころない事情があったのでしょう。授業中に子供が泣き出すと、みんなであやしたりして。その光景を鮮明に覚えているわけではないけれど、想像するとあまりにほほえましくて涙が出てきます。
ふたつめは。卒業を間近に控えた国語の授業。この六年間の思い出を作文にという課題が出て。参考にという例文は、「六年間、毎日通った道は、もう目をつぶっても歩けそうだ」みたいなもの。
ハル子さんは、なんと書いたか。「六年間、毎日通った道は、もう目をつぶっても歩けそうだと思って歩いたら、田んぼに落ちてしまいました」と。別にウケを狙ったわけではないはず。そういう子ではなかったから。なにを書いていいか分からなくて、例文に倣おうと思った。でも、それに違和感を持ったわけです、彼女は。そんなことをしたら田んぼに落ちるゾとそう思って、思ったことを書いてしまった、と。いまだったら、なんて可愛いヤツと思うのですが、当時は、あいつバカだなと笑ったりして。子供はしようがないですね。
今日の夜の0時15分からNHKTVでやる「ふたり」は必見の感動モノです。ライバル関係にある日本料理の達人ふたりをとりあげたドキュメンタリーなんですが。
そのうちのひとりが身にしみるようなことをいいます。「わたしは才能に恵まれていないので、誰でも出来ることを誰よりも丁寧にやろうと思っています」なんて。
「ディア ドクター」の監督に欠けているのは、なにより、この謙虚さですね。

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