竹内銃一郎のキノG語録

「チュニジアの歌姫」について  「タニマラ」メモ⑧2018.04.13

先週から奥さんが実家に帰っているので、これは絶好の機会と、このところ毎日家で「独演会」の稽古をしている。「独演会」の独演。奥さんといえども、中途半端なものをひとに見られたくないのだ。最初は噛みまくっていたのが、一昨日あたりからそれが激減。まだ時間はある、この調子でいけばなんとか …。驚いたことがある。数年前から、体調管理の目安に「活動量計」という名の、いわゆる万歩計をいつもズボンのポケットに入れているのだが、昨日、寝る前にその数値を確認したら、<活動>の消費カロリーは400に過ぎないのに、<総消費>が2000を超えていたのだ。これほどの大差はこれまでになく、最初は計器が「壊れたのか?」と思ったが、多分、独演会の稽古でカロリーを大量に消費したのだ。一時間に満たないものを一回しかやってないのに? そんなに熱演?! しかし、まさか今回の企画にこんな効用があろうとは。

「チュニジアの歌姫」の舞台は、いうまでもなく、チュニジア(の首都・チュニス)である。チュニジアは、クレーが色彩を発見した場所だといわれていて、だから<特別な場所>としてこの街を選んだのだが、まず外国ありきがあって、その後にチュニスを選んだのだ。外国を舞台にすることで、これが虚構以外のなにものではないことにエッジをかける、いうなれば、とても分かりやすい<異化効果>を狙ったのである。当然、チュニジアに関する知識は皆無で、あれこれ必要なことを調べながら書いたわけだが、知らないことを知っていくことがもたらす快楽もまたあり。ただ黙々と書くだけというのはしんどいんですよ。この作品は、佐野(史郎)さんとやっていたJIS企画の第二弾だが、チェコのプラハを舞台にしたJIS企画最初の作品「月ノ光」に、アタリ(=手ごたえ)を感じたからでもある。単純に、およそ外人には見えない俳優たちの間で、外人名が飛び交うことがおかしかったのだ。もちろん、それだけではないのだが …

「チュニジアの歌姫」は全6シーンから成り、各々に以下のようなクレーの絵のタイトルを付している。プロローグ「母と子」第一章「浮遊するもの」第二章「傷ついたもの」第三章「制御できない流れ」第四章「死と焔」エピローグ「快晴」。書いたのは20年以上も前なので、詳細な創作過程はもうほとんど記憶にないが、おそらく、「光と、そしていくつかのもの」と同じように、とりあえず、なにか話を作り出せそうな章のタイトルを、クレーの作品から幾つか選び、それと並行して、すでに決まっていた出演者の顔触れをにらみながら、物語を構築していったのではなかろうか、と。

設定されている場所は、エピローグ以外は「チュニジアの歌姫」ことマルグリット・ユニックの別荘の客間及び庭。マルグリットはフランス生まれで、十代で歌手デヴューしアイドルとして世界を席巻したが、二十代半ばで結婚し、それを機に引退。現在の年齢は50代半ばという設定。自宅はパリにあるが最近は、静養のため、ほとんどチュニジアの別荘で過ごしている。登場人物はほかに、マルグリット邸のお手伝いのマリアと料理人のオワール。マルグリットの娘でパリの大学で考古学を学んでいるナディーヌ、しばしば訪れる人物として、専門は獣医師なのにマルグリットの主治医をつとめるダーク、マリアのかっての恋人・テオ、そして、自作の出演交渉のためパリからやってきた映画監督のカール・フレッシュ(本名はカール・ロスマン)。劇は、カールとマルグリットの<ご対面>から始まり、その後、第四章まで各シーンの間に一週間という時間を挟みながら、律儀に進行していく。エピローグはそれから約半年後の夏、場所はチュニジアの、蜃気楼が見えることで有名なショット・エル・ジェリド湖畔に移動する。中身の具体は次回に。

クレーがチュニジアを旅したのは、1914年の4月であるが、「クレーの日記」の1914.4.12には次のような、現在の私にはとても示唆的なことが記されている。「多きをのぞむならば、いそぐ勿れ」。よしッ、今日も稽古だ。

 

 

 

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