竹内銃一郎のキノG語録

ジェフ! 個性を消して見せるのが、彼の際立つ個性です。2018.06.11

今月に入って、「チュニジアの歌姫」のデータ化にとりかかっているのだが、なかなか思うように進まない。目下一日1枚平均。ただ原本を写しているわけではなく、より高度な仕上がりを目指して(!)、微妙な、時には大胆な書き換えをしながらの作業なので、手間暇かかるのだ。その昔。美空ひばりが後年になって、子どもの頃に歌っていた自分の歌を、当時の子どもっぽい声を再現して歌っていたことを思い出す。あれはよかった。幼さは拙さと初々しさと、ふたつの側面があり、なにを書き換えどこを残すか、その按配が難しい。現在の社会状況へすり寄っての書き換えも極力避けたい。例えば。書かれた1997年当時、携帯電話はすでに広く使われていたけれど(わたしは使っていなかったが)、メールはまだ一般化されておらず、なので、現在ならメールで済ますであろうところを、劇中では電話や手紙で対応している。それをそのままにしておいていいのかどうか。時代設定を10年ほど先にすれば、いまの若いひとにも違和感なく受け入れられるかも? とも考えたのだが、しかし、主役のKは、20世紀最後の映画監督を自称しているのだ。それに、20年30年後には世界がどう変わっているのかわたしには予想できないし、そう、何十年経とうと世界がどう変わろうと、わたしは自分の戯曲が上演されることを前提にしていて、だからこそデータ化なんて面倒な作業に …。ふう。

時には思いもよらぬ結構ないただきもの(拾い物?)をする。数日前に見た映画「夕陽の群盗」がそれだ。一言で評せば、みずみずしい青春映画。舞台は南北戦争真っただ中のアメリカ。懲役を逃れるために両親と別れ西部を目指す、恵まれた家庭に育った若者が、劣悪な家庭環境下で育ったらしい若者と偶然出会い、後者の仲間達と一緒に西部を目指すが …、というお話。彼らは盗みを働きながら旅するのだが、当然のように、困難につぐ困難で、仲間たちは殺され、あるいは逃亡し、残されたふたりも何度も仲違いするのだが、互いに相手を捨てきれず …という、まことにうまく出来た、切ない友情物語だ。公開されたのは1973年で、映画全体がいかにも70年代的な、アナーキーな空気に包まれている。いまの若いひとたちがこれを見たらどう思うだろう?

悪い方の若者を好演したのはジェフ・ブリッジスだ。というのは、ウィキ調べで知った。同時に、彼がP・ボグダノビッチの「ラスト・ショー」(1971年)に出ていたことも。ああ、あいつか。だからどこかで見たことが …と思いながら彼の出演作一覧を見ていくと、コーエン兄弟の「ビッグ・リボウスキー」(1998年)や「トゥルー・グリッド」(2010年)、さらには「クレージー・ハート」(スコット・クーパー監督 2009年)にも出ていて、いずれも主役を演じていたと知って驚く。どれもわたしがYESのサインを送った傑作だ。以前にも書いたように、わたしは基本的に外人の顔の区別が出来ないのだが、それにしても。あのチンピラが40年後にはあんな、髭面皺だらけのご面相に変わるとは! でも。よくよく考えれば、反社会的な役柄であることは一貫していて、なおかつ、社会からのハズレ具合が、年齢とともに大きくなっていることに感服! 歳をとれば丸くなるのがフツーなのに(笑)。1949年生まれだから、わたしと同世代。デヴューした70年代初めから現在まで絶えることなく、ずっと映画界の第一線に居座り続けているのにも驚くが、演じる役柄はどれもコッテリ系なのに、それをアッサリと演じて見せるその技量は並ではない。多分、アッサリ系だから、映画自体は今でも鮮明に覚えているのに、彼個人については記憶になかったのだ。映画・役に溶け込んでいると言っていいのかも知れない。個性を消すのが彼の個性? ワタシ見習いたいノココロヨ。

 

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