竹内銃一郎のキノG語録

今朝の大事件!2018.06.18

今朝8時前。いつものように、同じマンションに住む子どもたちの話声・足音が廊下から聞こえる。毎朝これくらいの時間に玄関に集合し、揃って小学校へ登校するのだ。さて、わたしもそろそろ起きるかと思った矢先に、ドーンと激しい衝撃、文字通り飛び起きる。廊下でざわざわとひとの声。揺れの収まりを確認後、寝室から台所に行くと、この時間にはいつも寝ている奥さんもさすがに目を覚まし、台所の食器棚を押さえている。東日本地震のときに食器が落ちてずいぶん壊してしまったので、それ以来、地震があったらいつもそうしているのだと言う。ざっと室内を見回してみたが、これといった被害なし。本棚から本の一冊もこぼれ落ちてはおらず。と思ったら、上から3番目の棚に置いておいたCD2枚がずり落ちていた。あんなに揺れたのにこれだけ? と拍子抜けした。TVをつけると各局、当然のことながら地震速報と被害状況を伝え、そして余震の注意を呼び掛けている。それはいいのだが、みな一様にその口調がエキセントリックで違和感を覚える。注意の呼びかけは冷静にすべきではないのか。あんな声を出されたら必要以上にオタオタしまう。それに、うるさいのはかなわん。10時頃、近辺がどうなっているのか、調査がてら散歩がてらに智積院まで。途中、子どもたちの姿を多く見たのは、学校が休校になったからだろう。また、京阪が運転休止をしたため観光客はまばらで智積院もひっそり、結構でありました。

わたしたちはおそらく誰もが日々の平安と、そしてさらなる幸せを願って生きている。さらなる幸せを願うということは、今日とは違う明日を願っているということだが、一方で、今日と明日がそれほど変わらないものだとも思っている。良くも悪くも今日は永遠に続くものだ、と。わたしはありがたいことに、この歳で体の不調を感じることなく、医者・病院へは、それこそ前回触れた、「浪人街」のシナリオを書くために京都のホテルに缶詰めになっていた時、過労で腰を痛めて一週間ほど入院して以来、ずっとご無沙汰している。クスリも、春になると花粉症のためにさしていた目薬くらいで、それも10年ほど前からその必要がなくなって。年に一、二度風邪をひくが、薬を使ったことはない。わたしの健康保険料は、いうなれば病弱な方々への寄付金になっているのだ。こんな状態がいつまでも続くはずがないことは分かり切っているのに、5年後10年後は分からないけど、しばらくはこのいまの状態が続くはずと思っているのだ。

お昼頃、散歩から帰ると、思わぬ被害があったことを発見。スナドリネコさん(マンガ「ぼのぼの」に登場する)のぬいぐるみが、置いてあった本棚の上から転げ落ちて、TVの裏でひっくり返っていた! 冗談はさておき。わたしが住んでいる地域の震度は4であったが、4であれほどの揺れなら6あった大阪北部の、そして8あった東日本の震災時の揺れがどれほどのものであったかと想像すると、背筋をツーっと冷たいものが走るのである。

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