竹内銃一郎のキノG語録

テレビの黄金時代2018.06.29

数日前に古本屋で購入した、小林信彦の「テレビの黄金時代」(2002 文藝春秋)読了。著者によれば、TVの黄金時代は1961、2年から始まり、それから10年後の1971、2年に幕を閉じたことになっている。そのようなに考えるのは、61、2年に「しゃぼん玉ホリデー」、「夢であいましょう」、「スチャラカ社員」「てんもんや三度笠」等が始まり、72年にこれらのすべてが終わってしまったからである。若いひとは知らないだろうが、前2作は笑いを軸にした歌あり踊りありのバラエティー番組で、「しゃぼん玉~」にはクレージーキャッツが、「夢で~」には、渥美清、黒柳徹子がレギュラーで出ていた。後2作は、大阪のTV局制作のアチャラカ・コメディで、にわかには信じられないかもしれないが、藤田まこと主演の「てなもんや~」の視聴率は全盛期、ゆうに50%を超えていたのだ。著者が今でもスラスラ出てくると前置きをして、1963年・夏の日曜日に見ていた番組を並べている。12:15~45「スチャラカ社員」13:00~13:15「サンデー志ん朝」夕方になって18:00~30「てなもんや三度笠」18:30~17:00 これらはみなわたしにとっても忘れられない番組で、とりわけ「スチャラカ社員」の影響大なることは、これまでも何度かいろんなところで喋ったり書いたりしている。そうだ、前日の土曜夜10時には、「夢であいましょう」があったのだ。ああ、充実の週末! 著者が「黄金時代」としているのには、「お笑い番組の」という但し書きが必要かとも思えるが、しかし、「お笑いなくてなんの○○かな」と考えるわたしには、著者の定義(!)になんの違和感もない。

63年と言えば、わたしが高校に入った年。大学に入った66年は、姉夫婦と同じアパートに住んでいて、夕食はそこで食べさせてもらい、食後の1~2時間はTVも見ていたが、翌年から大学を辞める69年までの3年間は、ひとり暮らしの部屋にTVはなく、だから、終焉に向かいつつあったTVの実態はあまり知らない。ついでだから書いておこう。70年には日本赤軍によるよど号ハイジャック事件があり、72年には連合赤軍によるあさま山荘立て籠もり事件があって、いづれもTV各局が連日中継し、確か視聴率は80%に達していたのではなかったか。これらの<大事件>が、いわゆるお笑い番組の沈静化を導いたのかもしれない。大和屋さんとピンク映画のシナリオを書き、友人たちと自主映画を作っていたのはこの頃で、故・沢田情児の要請に応じて「斜光社」を立ち上げ、芝居の世界に足を突っ込むことになるのはこの4年後、1976年のことである。

 

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