竹内銃一郎のキノG語録

有朋自遠方来2018.07.20

暑い。この数年、ほぼ日課となっている「お散歩」も滞りがち。運動不足が心配で一昨日、夕方になれば暑さも少しは和らいでいるはずと思って外に出たところ! 鴨川沿いの遊歩道、川面を撫でるように涼やかな風が吹いている、という予想は見事に外れてほぼ無風、おまけに、6時を回っているのに日中かと思うほどの強烈な日差しが照りつけている。サウナの平均温度は知らないが、ほとんどサウナに入っているかのよう。いつもなら20分強くらいで行ける四条大橋まで、30数分かかってしまった。という過酷な状況下にもかかわらず。

今週月曜、まったく関心はなかったのだが、奥さんの執拗な誘いに抗しきれず、祇園祭を見に行く。と、信じられない光景が。夜の8時を過ぎた頃だった。尋常ならざる暑さに加えて、歩道から歩行者天国の車道から、ひとひとひとが押し合いへし合い、どこもかしこも、まるで朝のラッシュアワーかと思うほどの込みよう、ムンムンムシムシの暑さ、いや、熱さと書いた方が当たっているかもしれない。なにゆえにこんなにひとが集まり来るのか。ただ、あちこちに山鉾があるだけなのに。しかも、鉾の四方を飾る、相撲の化粧まわしのような飾り等もない、ほぼ裸状態なのに。しかもしかも。歩道の幅半分が、地面に座って、立ち並ぶ夜店で買った下賤な食べ物を頬張る、平均年齢推定18歳(男女比3:7)のガキたちで占拠されているのだ。目にするもののすべてが、わたしには正気の沙汰とは思えず、許しがたい思いから、「なんだ、今日はホームレスの集会か?」と大声で怒鳴ってしまった。当然のように反応ナシ。ま、そんなことを公道で叫んだわたしも、正気の沙汰とは思えないが。地面に座るガキたち、みな、2,3人で来ているらしい。祭りというハレの時間を、通常ならもってのほかの姿勢で同じモノを食べながら過ごす、そのことにたまさかの幸せを感じているのだろうか? それともか細い絆で結ばれている関係を、そうすることでつなぎとめようとしているのか?

昨日、東京、名古屋、福岡から、懐かしい若者3人が我が家に集まる。若者と言っても、みな四十半ばを過ぎたオッサンなのだが。彼らと会ったのは1991年、セゾン劇場制作で上演された「榎本武揚」のオーディションの時。3人ともまだ学生で、福岡から来た今井は当時19歳だったとか。名古屋から来た乗松が持ってきた公演パンフ掲載の写真を見ると、当然のことながらわたしも若く、いまの彼らより、Oh! 三つ四つ若かったのだ。夕方6時半ころにわが家に集まって、2時間くらい飲んで、それから京都駅前の居酒屋へ移動し、途中から、やはり「榎本武揚」オーディション組で京都在住の船津くんも加わって、深夜1時半頃まで。まあ、飲みました食べました話しました。乗松とは、5月にやったわたしの「独演会」の時、久しぶりに会っていたが、他の3人との再会は20数年ぶり。当然のようにあの頃の思い出話やそれぞれの近況報告で話は尽きず。これまでも何度かこのブログに書いたが、「榎本武揚」は、わたしが関わった舞台の中でもっとも不本意な作品で、だから、意識的無意識的に記憶から抹消されていたのだろう、かれらが話す思い出話には、「へえ」「ほう」の連続。

4人の中で最年長の深田は、「榎本武揚」が終わって間もなく国立劇場狂言方研修生となり、いまは野村万作師のもと、狂言師として年に200ステージほどをこなし、年に一度は生まれ故郷の大分で、深田プロデュースの「狂言の会」を開いているというから大したものだ。他の3人も三十過ぎまで演劇を続けていたらしいがいまは、乗松・社長、今井・所長、船津・鍼灸師(?)。家族を抱えながらそれぞれの場所で頑張っている。そんな彼らと共に過ごした7時間、なんと楽しかったことか。まさに、「有朋自遠方来、不亦楽乎」!

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