竹内銃一郎のキノG語録

私たちはシャカシャカと歩いた。2019.03.25

今日3月25日は18年前に亡くなった弟の誕生日だが、奇しくも(?)、長姉の手術が今日なされるという。

その長姉ともうひとりの姉がそれぞれの旦那さんともども、先週の木~土曜、京都に遊びに来てくれていた。わたしとうちの奥さんを含む6人の平均年齢は76歳余。半世紀ほど前ならば間違いなく、足元おぼつかぬ老人集団であったはずだが、3日で合計40数キロをシャカシャカと歩いた。しかも、その大半は山道坂道である。しかもしかも、長姉は癌の出術を間近に控えているのですよ、凄くないですか? わたしは頑健とまではいかないけれど、年齢的には平均以上の体力ありと自負しているのだが、さすがに土曜日の夜は、疲れていたのだろう、8時過ぎに寝てしまった。イチロー引退。少ししか見ていないが、ゲーム終了後の記者会見で見せた彼の表情は、近頃のTV等ではあまりお目にかからないもの。それは、ある時は苦行僧、ある時は慈悲深い御仏、そしてある時はお茶目ないたずら小僧と、まるで数日前にご対面した三十三間堂の千手観音菩薩のよう。ああ、ありがたやありがたや。

前述した姉たちとの「京都三日目」は、嵯峨野の落柿舎、二尊院に出かけたのだが(そう、連日の寺社めぐりだったので、シャカシャカなんです)、嵯峨野嵐山駅から落柿舎へ行く途中、とりわけ有名な竹林の道はひとひとひとでなかなか前に進めず、おまけに、我が物顔で道をふさぐようにして写真を撮っている連中が多々あって苛々。写真・映像等で見る竹林の道は、静けさを伴った涼風を感じさせる美景だが、現実は前述のように大違い。要するに、あの手の写真はどれも虚像なのだ。写真と言えば。

二日目。朝から、まずは清水寺に行って、「京都、わたしのオススメ№1」の<随求堂で「胎内めぐり」>をして、それから京都御所、南禅寺と足を伸ばして夕方、疲れたのでバスで帰ることにしたのだが、そのバスの中で、わたしの前の席に座った若い女性が立っている友達とスマホで撮った写真を交換しあっていた。別に覗き見るつもりはなかったのだが、目に入った写真の美しさに驚く。モデルになっている彼女たちが美しいわけではない。画像が、わたしの携帯で撮ってる写真と比べものにならないほど綺麗なのだ。ああ、これが4K8Kだなあと感心するうちにふと、次々と変わる彼女たちの写真の代わり映えのなさに驚く。単独の写真はどれもモデル風の可愛げなポーズをとり、二人三人で一緒に撮った写真は、いかにも「仲いいでしょ」といいたげで。どれもこれもが、よく雑誌やTVで見マス的な代物で、いったい見せる対象は誰なのか、物欲しげな媚態媚態、媚態の連続。インスタ蠅とはかくなるものかと思った次第。写真とは文字通り、「真実を写すもの」ではないのか。ああ、わたしが撮った姉たち夫婦の写真を皆様に見せてあげたいのだが。恥ずかしながら、その方法を知らないのデス。

いま22時31分。姉貴、大丈夫だよな。

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