竹内銃一郎のキノG語録

ファミリーは<反社>の同義語?2019.07.26

今朝のNHKニュースでの報道によれば、例の「相模原障碍者施設殺傷事件」をよく覚えていない一般市民が3分の1いて、20歳以下に限ると半数近くいるらしい。驚きである。わたし自身、あれはずっと以前に起きた事件だと思っていたから、わずか3年前の今日7月26日に起きた事件であることを知って驚いたのだったが。なぜ少なからずの人々があのような、社会を揺るがした大事件を忘れ、あるいは、遠い出来事のように錯覚するのか。それはおそらく、このところの「吉本事件」がいい例だが、マスコミの無責任きわまる報道姿勢によるものだろう。どう考えても、「吉本事件」など、一年前の「日大アメフト事件」、「アマチュアボクシング界」等におけるパワハラ騒動と同様、一般市民の多くにとってはどうでもいい出来事であるはずなのに、マスコミが面白さ本位で煽りまくるので、退屈な日々を過ごす少なからずの一般市民は過剰な関心を示し、結果、「相模原事件」のような社会的大事件など、はるか彼方へと遠ざかってしまうのである。

今回の「吉本事件」の一連の報道で、わたしの興味・関心の対象になったのは、吉本の社長も宮迫等の芸人達も好んで使った「ファミリー」という言葉である。「吉本事件」の報道とともに、ここにきて頻発されている「反社会勢力」=「反社」という言葉と前述の「ファミリー」は、一見、対極にあるもののように語られているが、わたしには同義語であるように思われるのだ。

反社の代表格ともいえるヤクザ社会は、「家族=ファミリー」をその基本形として作られている、いうならば「疑似家族組織」なのだ。その構成員の多くは、被差別部落あるいは在日者といわれていて、つまり、20~30年ほど前までは、一般市民社会から排除された人々を受け入れてくれる、数少ない組織・場所だったのだ。吉本の連中が「ファミリー」という言葉を「疑いようのない価値あるもの」として連発するのは、そもそも吉本自体がある時期まで反社系組織であった証であり、さらには、吉本への所属を希望した少なからずの芸人たちが、フツーの市民社会、もしくは生まれ育った家庭・家族とは相容れなかったか、あるいは排除されていた人々であろうことを推測させる。だからこそ、「ファミリー」という言葉を金科玉条のように語るのだ。先輩を「兄さん、姉さん」と呼び、呼ばれた先輩は、金がなくても後輩たちに飲み代・飯代を出してやり,今回のような揉め事が起これば、島田紳助のように組=吉本から離れた者が仲裁に乗り出すところなど、ヤクザ映画ではお馴染みの光景である。にもかかわらず、「反社」の御旗を掲げるなんて、おかしくないですか? ついでに書けば、しどろもどろの記者会見でその名をあげた吉本の社長、「仁義なき戦い」で金子信雄が演じた山守組長に似ていましたな、もちろん顔ではなく、いい加減な立ち居振る舞いが。

反社撲滅を唱えるならば、この国全体の傾向自体も改める必要があるだろう。先に書いたような、少数者排除の姿勢もさることながら、まずはマスコミ(関係者)から、一週間ほど前の「記者会見」で宮迫・田村亮が流した涙を見て、彼らへの批判を同情へと変えてしまうような、冷静な論理よりも非論理的な情緒的なるものを上位におく、愚かしき価値観を変えなければ。

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