竹内銃一郎のキノG語録

1980年 秘法零番館の旗揚げ② 活動の記憶⑬2020.05.24

何十年ぶりになるのか、東野芳明の「マルセル・デュシャン」を本棚から取り出し、パラパラと頁を繰ったらなんと(!)、見覚えのない小さな原稿用紙(400字)が2枚出てきて、ともに、マスコミ向けの公演告知の下書きらしき文章。以下は、そのうちの1枚を書き写したもの。(でも、中身を考えたのはわたしのはずだが、書かれた文字は誰のものだか …?)

劇団「斜光社」を解散してはや一年、懐かしの下北沢に狙いを定め、新たに名前を変えての再登場です 演劇とは 青春であり 情熱であるという繰り言はもうつき合いきれないと、若くもなければ年老いてもない私達は、その限りなく素寒貧な肉体を唯一の根拠として、彼と我との想像力をば、<制度外>へと解き放つべく、再出発を期することになりました。私達はいまスタートラインに立ったばかりですが すでにエンジンは全開しています。 むくつけき三人の独身者たちの まだ見ぬ花嫁をめぐる、おかしさと哀しみに彩られた 幻想詩編。さてはどのように現れ出ることやら。 起テバ、ラジカル、座レバ、ヒューマン、歩ク姿ハ パロディスト?!

わたしの戯曲の大半はまずタイトルありきで、タイトルを決めてから作品の中身を考える。タイトルは「大鴉~」としたが、これは言うならば読者・観客諸兄への目くらましで、大鴉など登場しない。タイトルを決めた時点で、見えない「大ガラス」を3人の男が運ぶ、という設定は考えていた。では、3人の男の設定はどうするか、どういう理由でどこにその大ガラスを運ぶのか等々、「物語作り」には相当アタマを悩ませた(はずだ)。ヒントにしたのは前述の「マルセル・デュシャン」である。デュシャンの「大ガラス」は、上下ふたつのパネルで構成されていて、上半分には「花嫁=一種の機械」が、下半分には「独身者の機械=僧侶、憲兵、配達人等9つの鋳型」が描かれている。(というのだが、見ても分からず、そう言われてもやっぱり分からない)。ここから、3人の独身男が大ガラスの配達を引き受け、指定先まで運ぼうとするもなかなか家が見当たらず、ウロウロしているうちにイライラが募って喧嘩勃発。が、配達先は彼らの憧れの「花嫁」であることが判明し …というお話に。そうそう、書き始めて少し経った頃、その頃好きだったTV番組のひとつ「ドッキリカメラ」で、見えない大ガラスをふたりの男が運んでいて、向こうからやって来る通行人に、「すみません、いまガラス運んでるんで、道をあけてもらえますか」なんてネタをやっていた。多くの通行人がその嘘を真に受けていたのには笑ったが、これをパクったなんて思われたらヤダなあ、とも。

旗揚げ公演は、1980年11月21日~24日 於:下北沢・スーパーマーケット。時々、本などでこのことを知って、最初の公演はスーパーで?! なんてひとがいるが、違イマス、ここは今はもうないと思うけれど、ライブハウスなんです。実は当初、桜田さんの友人で当時池袋西武の書店で働いていた澤木の口利きで、池袋西武の8階にあった多目的ホール・スタジオ200でやる予定だったのだが、どういう理由だったか、とにかくそこでは出来なくなって、ここを使わせていただいたのだ。誰が見つけてきたのだろう? いずれにせよ、別の劇場を探すには時間がなく、また、こうなったらフツーの劇場じゃない方が、という考えからライブハウスで行こうとなったのだろう。しかし、戯曲はスタジオ200での公演を前提に書いたので、スペースが半分くらいしかないライブハウスでの上演にはアレコレ手を焼いた。「少年巨人」以来で、実質初めてに近い演出だったためもあったのだろうが。(この項もう少し続きます)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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