竹内銃一郎のキノG語録

ひたひたと切なさが … 映画「荒野にて」(監督アンドリュー・ヘイ)を見る2020.09.14

嘘のように涼しくなった早朝。6時過ぎに家を出て、麩屋町通りを四条通まで行き、そこから柳馬場通に移って御苑まで35分で到着。一週間ほど前までの到着時には、Tシャツが汗でぐっしょりとなっていたが、もうさほどのことはなく。ようやく夏も終わったようだ。15分ほど体ほぐしの体操。そして、寺町御門から荒神口通を抜けて鴨川遊歩道に降り、丸太町橋下から七条大橋下まで3.2キロを30分58秒で歩く。一か月ほど前であったか、100メートルを1分で歩けなくなったことが判明してショックを受け、ひたひたと老いが忍び寄っているようだと書いたのは。3.2キロを30分58秒で歩いたってことは、100メートルを1分かからずに歩けたということだが、しかし、通常の120%ほどのエネルギーを使った今日の結果である。このスピードで10キロは歩けまい。うーん。

映画「荒野にて」を見る。WOWOWの雑誌にあった内容の紹介から競走馬の出演を知って録画しておいたのだが、これが想定していた以上の傑作。

主人公の少年(16歳?)が早朝、家を出て誰もいない通りをひとりで走るところから映画は始まる。ハイレベルのスポーツ選手かと思わせるその見事な走りっぷりもさることながら、黙々と走る彼の表情からはなまじのものとは思えぬ孤独感が窺えて、始まって数分もしないうちにこの映画の面白さを確信する。こんなドラマも映画もそして芝居も、この国でお目にかかることは久しくない。彼の両親はかなり以前に離婚し、母親は彼を捨ててどこかに消え、以後、彼は父親と各地を転々、現在の住まいに来てまだそれほど時間は経っていない。従って(?)彼は学校には行っておらず友達も知り合いもいまは誰もいない。彼は近くにあった(家から走って20~30分?)競走馬のトレセンに出かけると、調教師から「暇なら手伝ってくれるか?」と声を掛けられ、そこで馬の世話をすることになる。競走馬といってもサラブレッドとは違い、そこにいるのはクォーターホースという短距離専門の馬たち。彼はその中の一頭、通称ピートを好きになるが、調教師からも女性騎手からも、「競走馬はペットじゃないから」と注意を受ける。それから、思いもよらぬことが次々に起こる。ある夜、父が付き合っていた勤め先の同僚である女性の亭主が家に乗り込んできて、父親を滅多打ち! 父は病院に担ぎ込まれるが、ほどなく亡くなる。ピートは成績下降気味となり、メキシコに売られると知った少年は、ピートを助けるべく馬運車に乗せて、彼が唯一信頼を寄せている父の妹(多分)である叔母さんが住むワイオミングを目指す。馬運車は途中で故障。それから少年は馬を引きながら荒野をぽつぽつと歩いて行くのだが、このシーン、見た目とは裏腹に、ここまで無口な少年であった彼が、打って変わって饒舌になり、懐かしい思い出の数々をいかにも懐かしそうに楽し気にピートに語るのだ。そしてそれから …

物語はわたしの想定通りに運ばれない。前述の老調教師はまるで父親のように、人生とはなんたるかを少年に教える存在になるのではないかとか、女性騎手もほとんど彼の記憶にない母親代わりになるのでは? とか。ピートに水をと立ち寄った荒野の中に立つ一軒の家には、明らかに怪しい男がふたりいて、彼の望みをたやすく受け入れて家に入れるのだが、きっと彼はひどい目にあうだろうと思ったらなにも起こらず、彼らとどういう関係なのか、夕方、親子と思しき父・娘が車でやって来て、みんなの夕食を作ったとんでもなくでぶっちょの娘が、食器洗いを手伝う少年に色目を使うので、こりゃヤルなと思ったらこれまたなにも起こらず。うーん。

まだまだ思いもよらぬ出来事が起き、こちらの想定を覆す出来事も次々と起こるのだが、あれもこれもとてもひそやかで、しかし、始まりから終わりまで、見ているわたし自身の息が詰まりそうな緊張感が続くのだ。そこがアニメやアニメの模倣としか思えない他の多くの作品と大きく違うところである。わたし、二度ほど涙をこぼしましたが、それはどこでかは秘密です。

先週の金曜だったか土曜だったか、プロ野球、Jリーグ等のスポーツイベント及び映画・演劇公演等のコロナ感染による観客数制限緩和か? というニュースが報じられて、塞がっていたわたしの気持ちが少しだが緩む。来年1月のキノG-7「さいごのきゅか」の上演、観客数制限がなくなってくれたらと、祈るばかりだ。もとい、観客数制限がなくなって客席がすべて埋まることになってくれたらと、祈るばかりだ。

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