竹内銃一郎のキノG語録

歩きやすい道を進むべからず  「さいごのきゅか」の稽古始まる。 2020.12.08

体重がまた67キロ台に戻ってしまった。週に50キロ強のウォーキングは欠かさず続けているので、多分、先月半ばにタバコをやめたのでなんとなく口寂しく、それでちょくちょくお菓子の類の食べているからだ。タバコをとるかお菓子をとるか。難しい。

このところ京都への観光客は増えてきているが、もともと溢れるほどのひとが行き交う通りは、清水寺へ向かう通り、八坂神社から四条通を通って河原町通、烏丸通まで達する周辺、及び、嵐山周辺くらいで、他の通りで行き過ぎすれ違うひとの数など、たかが知れている。なのに、10人に9人はマスクをしているから「なんじゃい?!」と思ったりするが、もう「癖」になってるのだな、きっと。

先週の火曜だったか、久しぶりに北野天満宮を目指して歩いた。我が家から片道約100分。これまで5,6回行っていて、道は大体覚えてしまったので、今回は少し大回りになっても、これまでとは別の道を行こうと思った。わたし好みの道ははっきりしている。道幅2~3メートルで、道沿いに立ち並ぶ家の軒下の多くに花が置かれているような道。きれいな花が咲いてると立ち止まって携帯で写真を撮ったり、表札に珍しい名前が書かれているとそれをメモったりしながら歩いていると、まっこと楽しい。

今月3日から、来年1月末に上演する「さいごのきゅうか」が始まった。3,5,7日と一日おきで台本の読み合わせ。今回の出演者は5人。うち2人は近大の卒業生で、わたしが担当した発表会、卒業公演に出演しているが、高阪は10数年ぶり、豊島は一昨年の「竹内銃一郎集成」に一度出演してもらっているが、リーディング公演だったので、本格的な芝居に出演してもらうのはやっぱり10年ぶりくらい。あとの3人は今回が初めての<顔合わせ>である。

演技は身体の身体・動きを基本に、台詞はその基本の身体・動きに添えられるべきものである。従って、読み合わせにあまり時間をかけすぎると、間違った方向に行ってしまう。ただ、今回は上演時間約100分のうちの半分ほどは、2人あるいは3人がそれぞれ座って、正月用の箸袋を作りながらの会話・対話になっているので、つまり、手先以外はあまり動かせないので、通常の(?)芝居よりも台詞の重要度が高くなるはずだ。

5人ともそれぞれ物言いに癖があり、それを注意する。癖とは、多くの場合、自らが意識的に選択したものではなく、知らず知らずのうちに身についてしまったものである。むろん、時と場合によっては、「癖」が思わぬ効果を発揮することだってなくはない。しかし、表現はすべからく意識的なものでなくてはないない。あるいは、こういう風にも言えよう。即ち、見慣れた道、歩きなれた、歩きやすい道を進むべからず、と。そうだ、前述の北野天満宮へのお散歩。JR丹波口駅から千本通を今出川通交差点まで行って、そこからいつもなら行く今出川通を外れて、同じ方向の路地を行く。15分後。お腹がすいたので入口の具合から「ここはいいのでは?」と思った小さなお店に入ったらこれがとってもおいしく、満々足の気分で外に出て、いざ北野天満宮へと思って歩き始めたのだが、歩けども歩けども、いつまでもどこまでも見慣れぬ風景が続き、通りに置かれた地図を見たら、目指していた方向とは真逆の道を歩いていたことが判明。でも、そんなヘマをした自分がまたおかしくて …。食事の時間も入れると、3時間を超える長(超?)散歩になってしまいました。

 

 

 

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