竹内銃一郎のキノG語録

続々「鼠穴」をネタにして 2014.11.05

前回書いたように、落語はひとり芸だが、もうひとつ、座って演る芸でもある。座っていなければならない、移動は出来ないと考えると不自由だなとなるが、これを、移動しなくていいんだ、と考えればずいぶん楽になる。落語は、これまた前回書いたように、主にふたりの会話によって進行するが、だからといって移動しないわけではない。出たり入ったり、結構遠くまで出かけることだってある。仮に、立って落語をやるとなると、この移動(の表現)が大変難しい。見ている方だって煩わしい。座って、主に顔のフリだけで、複数の人間や家財道具等々がそこに存在することを示すから、話に集中出来るのだ。もうひとつ、舞台装置、衣装といったヴィジュアルでの表現も用いない。すべて顔を中心にした身ひとつによって表現される。要するに、落語は省略を得手とし、大胆な省略によって観客の想像力を刺激する芸なのだ。

 

この噺の主役である兄弟の年齢設定がはっきりしない。弟が最初に兄に会いにいった時、兄は「長い間会わないうちにずいぶん大きくなったな。別れた時は、まだ子どもっぽさが残っていたのに」という意味のことを言う。15、6で大人と見なされていた時代だとすると、まだ子どもっぽかったと言われる弟は、すでにその歳に達していたということだろうか。とすると、この時、弟は15~8歳。それから再会まで何年経過していたのか。兄は、親の遺産の半分を弟に残し、残りの半分の遺産(主に田畑)を金に換えて江戸に出たとされている。20も半ばを過ぎていたら、そんな大勝負には出られまい。とすると、兄はこの時、20~24歳くらいか。彼はその金を元手に商売を始めて成功し、今は大きな店を構えて、多くの使用人も抱えている。こうなるまでにはおそらく最低でも10年くらいはかかったろう。となると、ふたりが再会した時、兄は30~34歳、弟は25~28歳。30そこそこで大店の主人というのは、ちょっと若すぎないかと思うのは現在の感覚で、当時は50を過ぎたらそろそろ隠居に、と考えた時代である。

長々と書いたのは、ふたりの年齢(設定)が、この話の重要なポイントになっているはずだと思うからだ。どういうことかというと、20も半ばを過ぎた弟は、明らかに新しい商売を始めるには遅すぎる年齢で、だからかなり切羽詰った状態で兄のところで働かせてくれとやって来たのだ。そして、兄の方は、そんな歳になった弟を小僧的身分で働かせることは出来ず、だからといって商売のイロハも知らない弟をそれなりの地位に据えることも出来ず、もちろん、こんなに年齢のいった男を雇ってくれるところもあろうはずがなく、だから口では、ひとのところで働いたってそんなにお給金がいただけるわけじゃない、自分で商売をすれば儲けたお金は全部自分のものになるから、と言ったが、本当のところは、自分で商売をする以外にお前が江戸で生きていく術はないよと言ったのだ。弟よ、世間はお前が考えてるほど甘くはないよと言外に言っているのだ。

10年後、商売に成功した弟は、兄に借りた金を返しにくる。この時のふたりのやりとりの調子が円生と談志では大きく異なる。円生が演じるふたりは、10年前のふたりとほとんど変わらない。仕事の世話をお願いにきた弟は、10年経って、今は借りた3文に2両の利子をつけて返せるくらいになっているのに、兄は兄らしく弟に対して鷹揚に構え、弟は弟らしく兄に対して実に腰が低い。一方、談志の弟は、兄に対してどこかけんか腰なのだ。こんな台詞は吐かないが、ホレ、借りた金はノシつけて返してやるぜ、といった感じ。なぜ、こんな弟を造形したのだろう? 自分が切羽詰ってやって来たのに3文しか貸さなかった兄を、10年経った今でも恨んでいる、許さないということだろうか? だとしたら、わたしの理解とはかなり違う。 仮にそうだとしても、それを露にするほど弟はバカではないのではないか。それこそ人間には裏表があるのだ、腹にあることをいちいち表に出すような人間に、まともな商売が出来ようはずがない。そう、彼が下層で這いずり回っているのならともかく、いまや紛れもない成功者なのだ。そんな兄への恨みつらみは、とうに消えているはずだと考えるのが妥当ではないか。更に、当時の時代背景を考えても、親の遺産のすべてを自分のものに出来る立場にあった兄は、自分にその半分を分け与えてくれたひとで、台詞にもあるが、兄が3文しかくれなかった仕打ちが、自分を現在の成功に導いたと弟は思っているのだ。感謝こそすれいまだに恨みを、というのはどう考えてもおかしい。この理解は甘い? そうかも知れない。しかし、そもそも弟は甘い人間で、だから、火事になったら俺の全財産を …という兄の言葉を信じたのだ。そういう噺でしょ、これは。

いずれにせよ、談志の登場人物には奥行きがない。ひとが奥行きを感じるのは、見えてるものの背後になにかあるのではないかと思うからだが、談志は、背後にあるなにか、腹の中に隠しているものをすべてオンにしてしまう、説明してしまう。このことは、家が火事で丸焼けになり、またもや切羽詰まった弟は、兄のところに再建資金を貸してほしいとやってくるところで更に明らかになるが、今日はここまで。

まだまだ続きます。

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