竹内銃一郎のキノG語録

文太さんも亡くなった!2014.12.01

またもやの訃報。文太さんが亡くなった。暑さや寒さが厳しくなると、ご高齢のひとが亡くなる。

文太さんとは一度だけお仕事をしたことがある。90年代の半ばだから、もうずいぶん前の話だが。映画の「スティング」が舞台化され、わたしはその台本を担当したのだ。文太さんは、映画ではP・ニューマンがやった役を演じ、R・レッドフォードが演じた役は少年隊の錦織がやった。最初の読み合わせ・顔合わせの時に初めてご挨拶し、それから、稽古場に一度お邪魔をし、本番は初日と楽日、打ち上げの時にもにもお目にかかったが、 …いや、もう一度あった。その翌年だか翌々年だかに、同じ演目が再演されることになり、ついてはホンの手直しをということで、この時は演出家、プロデューサーと一緒に文太さんも同席され、アレコレ話をしたのだった。そう、ゆくゆくはミュージカルにしたいという意向がプロデューサーにあって、3曲ほど歌詞を書いたような気もするが、もしかしたら他のひとにお任せしたのかもしれない。文太さんが歌われたかどうかも記憶がない。なんにも覚えてないな。

文太さんが四季に在籍されていたことはニュースで知ったが、相変わらずテレビはいい加減なことを流している。朝日放送の6時のニュースだ。「文太さんは、健さんにはあらゆる面で敵わなかったがが、ただひとつ、歌だけは俺のほうが上だとおっしゃっていた」という芸能レポーターの井上某の談話を紹介した女性キャスターが、「もともとは劇団四季にいらっしゃったんですものね」と付け加えていたのだ。バカだねえ。四季=ミュージカルだと思っての発言だと思われるが、文太さんが在籍していた頃の四季は、ジロドーとかアヌイとかの戯曲を上演するストレートプレイ専門の劇団で、そんなもんやってなかったの。

そうだ、まだあった。前述のそのまた翌年だか翌々年だかに、今度はF・キャプラが監督した「素晴らしき哉、人生」か「ポケット一杯の幸福」を舞台化したいということで、この企画は文太さんは直接の関係はなかったのだが、企画・製作会社が借金がかさんで事務所を失い、文太さんの事務所の一部を間借りしていて、そこへ伺ったら文太さんが「やあやあ、元気そうだね」と顔を出されたのだった。因みに、この時にキャスティングされていたのが、まだ無名に近かったキムタクと先日亡くなられた中川安奈さん。でも、これは製作資金が集まらずボツ。いろいろありましたねえ。

改めて数えてみると結構お会いしているのに、強烈な印象として残っていないのは何故だろう? 俳優によっては、ホンにあれこれ面倒な、しょうもない注文するひとがいるのだけれど、そういうこともなかったし。常に「よきにはからえ」みたいな感じで。ま、いい意味でインテリだったんですね。前の衆議院選挙のとき、新党の党首に祭り上げられて、みたいな話があったときは、よせばいいのにと思っていたら、やっぱりそんな晩節を汚すようなバカな真似はしなかった。

文太さんの映画といえば「仁義なき戦い」ということになるのだろうが、東映で主役をはる前の、やくざ映画で悪党の組にやとわれたニヒルな用心棒役が強く印象に残っている。と言っても作品名は分からないのだが。

それにしても、ああいう言い草はやめてほしい。「これでまた昭和が遠くなりましたね」っていうヤツ。ほんと、下らない。

 

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