健さんはサイテーの男を演じている 「幸福の …」について③ 2014.12.08
昨日から少し熱があるようだ。このところの寒さで風邪でもひいたのか。いや、ここで他人の悪口ばかり書いているから、きっと天罰が下ったのだ。馬券も当たらないし … 😥
健さんは、ある時期から、自分が気に入った役しかやらないと明言していたらしいが、前回わたしが「グズ野郎」と書いたこの「幸福の …」で演じた男のこと、本当のところ、どう思っていたのだろう?
なぜ彼が先を急がないか、急げないのか。もちろん、それには理由がある。彼は、網走駅前の郵便局でハガキを買い、「もしも、自分を待っているのなら …」と妻宛に書いて、それを投函しているのだが、夕張の家に帰っても、妻がまだそこにいるのか、たとえいたとしても、自分を受け入れてくれるのかそれが不安で、だからグズグズしているのだ。
しかし。妙な話である。妻と書いたが、正確には元・妻。ふたりは3年前(服役中)に、離婚しているのだ。それも、健さんが嫌がる妻に無理に書類に印鑑を押させて。こういう事情があったにもかかわらず、妻が自分を待っているかもしれないと考えるのは、世間の常識に照らせば、この男は、自分勝手なノー天気野郎か、とんでもないうぬぼれ屋のどちらか、ということになるはずだ。「男はつらいよ」の寅さんだって、もう少しナイーブな男として描かれている。しかし、これだけではない。フツーの観客なら、とても共感を持ち得ないであろう彼に関する事実が、物語の終盤に明らかにされる。
彼は、福岡の炭鉱町で生まれ育ち、そこで警察沙汰になるようなことを繰り返していたが、これじゃあいけないと北海道にやってきて、夕張の炭鉱で働くようになる。妻になる女性(バツイチ)はスーパーで働いていた。彼女のことが好きになり、ストーカーまがいの行為を繰り返し(多分、監督はそんな風に思っていない)、なんとか結婚にこぎつける。ある日、妻から「妊娠したかも …」と告げられる。男はもちろん喜び、「今夜は祝杯だ」と歓声を上げる。しかし、妻が、「まだはっきりしたわけじゃないから、お酒は …」と云うので、じゃ、医者に行って妊娠が確認されたら、そこの鯉のぼり用の(?)ポールに黄色いハンカチを …という話になって、これがラストシーンに繋がる。
それから幾日か後。産院で流産が告げられる。ふたりはもちろん落胆するのだが、医師とのやりとりの中で、妻は以前にも流産したことがあることが明らかになり、男はひどくショックを受ける。そして、家に帰って。今度は必ず元気な赤ちゃんをなどと云う健気な妻を、男はなぜ前に流産していることを教えなかった、と激しく責めたてた挙句、卓袱台をひっくり返して外に飛び出し、飲み屋街でチンピラ風の男とケンカして相手を殺してしまい、それで懲役6年の刑をくらって …
この男、サイテーじゃないですか? こんな、流産して心身ともに弱っている妻を罵倒した男が、旅の途中で、桃井にセックスを迫る武田を呼び出し、「女は弱いんだ、弱い女を守るのが男だ。お前、それでも男か」などともっともらしいお説教を垂れる。度し難いとは、こういう男のためにある言葉だ。
これらの事実は、先にも書いたが、物語の終盤、健さんの長い長いモノローグと回想シーン(!)によって明らかにされる。これは、安手に作られたテレビのサスペンスものでよく使われる手法と同じだ。つまり、番組終了時間の10~15分前くらいに、探偵(役)が崖っぷちに呼び出され、そこで犯人が延々、犯行の理由や手口について、長々と語り、かつ、その内容を回想で見せるという …。なんという無策!
かのヒッチコックは、サスペンスの神様という称号にふさわしく、「サスペンスの持続」が映画(作り)の基本だと語っているが、このお言葉を念頭に置きながら、次回は、どこをどう直せば「幸福の …」が「映画」になるのかを書こうか、と。