竹内銃一郎のキノG語録

同じ監督の映画とは思えない  「遥かなる山の呼び声」を見る2014.12.10

山田洋次の健さん映画2作目、「遥かなる山の呼び声」を見る。これが想定していた以上にうまく出来ていて驚く。「幸福の黄色いハンカチ」。なんだったんだろう、あれは?

「幸福の …」の数多ある問題点を三つに絞ると、次のようになる。①主役の健さんの動きが鈍くて話が先に進まない。  ②主要人物3人がなぜ幾日も3人旅を続けるのか、その理由・必然が見当たらない。  ③物語終盤の大失速

「遥かなる …」では、これらが見事に払拭されている。というか、上記の事柄は、いわばシナリオを書く上では、基本的、常識的なことで、山田洋次のような巨匠(の仕事)をつかまえて、このように賞賛するのは、かえって失礼というものだ。

ヒッチコックが言うところの「サスペンス」とは、分かりやすくいうとどうなるか。それはヒッチ自身が語っている。曰く「子どもが母親に絵本を読んでもらっている場面を想像すればいい。多分子どもは、読み手の母に絶えず、次はどうなるの? 主人公の○○はそれからどうなるの? 等の質問を連発するはずだ。つまり、観客に、この子どものような質問をしないではいられないようにすればいいのだ」 要するに、物語を前に前に牽引していく力、これがヒッチ流の「サスペンスの定義」なのだ。

「遥かなる …」は、まるで二頭立ての馬車のようだ。一頭の馬は、健さんと倍賞千恵子が演じる男と女の恋の行方である。これも以前に書いたことだが、人物設定は三角関係が基本である。三角関係だからといって、必ずしもひとりの男(女)をふたりの女(男)が奪い合う、という拵えにする必要はない。三角形の三辺が時に応じて伸び縮みを繰り返す、それがサスペンスにつながればいいのだ。この物語の3人とは健さんと倍賞演じる女性と、それに彼女の息子(小学生)である。倍賞の亭主は二年前に亡くなっている。

ある冬の夜、健さんが「ひと晩でいいから泊めてほしい」と倍賞の家に来る。もちろん、いきなり来た知らない男だから断りたいところだが、雨は土砂降りで追い返すのも可哀そうということで納屋に泊め、翌朝、男はお礼を言って帰っていく。それから数ヵ月後の夏。その男が再び訪れ、しばらくここで働かせてほしいという。倍賞はひとりで牧場をやっている。人手がほしいということで、彼の申し出を受け入れる。しかし、氏素性もはっきりしない男には、常に必要以上に距離をとりながら接し、息子にも彼にあまり近づくなと命じる。つまり、この時の三人は、健さんvs女・息子ということになっている。これが、サイテーな男だが憎めない、ハナ肇が演じる男の登場で、健さんと女の距離が縮まり、女の予期せぬ入院で、健さんと息子の距離が縮まり等々、様々なエピソードとともに三人の距離・関係が変わっていく。「幸福 …」にはこれがない。エピソードとは単なる「お話」ではなく、物語の流れを変えるものでなくてはならない。

もう一頭は、終盤まで隠され続ける健さんの過去(=秘密)である。ネタバレになるので詳細は記さないが、物語の要所要所で、健さんは自分の過去を小出しにするので、「幸福の …」のように、終盤になってバタバタと重大な話を一気に語るというような醜態を見せることはない。例えば。健さんは幼い頃に父を亡くしているのだが(自殺)、この話を、母親が入院している時の夜、寂しいから一緒に寝ていいかと納屋にやってきた息子に語るのだ。この夜がふたりの距離を一気に縮め、ふたりは強い絆で結ばれるようになる。

絶えざる前進を観客に伝えるためには、ただ前に進むのではなく、前にも書いたが、行く手を阻むもの・ことの設定が必要だ。関係の描き方においても同様で、AのBに対する好意もしくは悪意を描こうとするなら、その逆のベクトルを与えてやらなければいけない。「幸福の …」を例に言えば。これが「お話」にならないのは、主要な3人の間に好意も悪意もないのに3人旅を続けているところだ。だから、彼等にそれらを与えてやらなければいけない。

まず、武田は年上の健さんを上から目線で対応することにする。健さんは、階層的に自分より下のホームレスのように思っているからだ。それは、彼がなんとかセックスしたいと思っている桃井の気をひくためでもある。この力関係は、健さんがムショ帰りだと分かったところで、ガタガタと崩れる。武田は桃井に「あのオヤジ、やばいから置き去りにして逃げよう」と言うと、桃井は、自分の父親もシャバと刑務所とを行ったり来たりしているひとだった、と言うような話をする。と、当初の、健さん<武田・桃井の構図は、健さん・桃井>武田に変わる、と。

「遥かなる …」で健さんが息子相手に「告白」するのは、むろん、息子も父を亡くしているからだし、物語の終わり近くで健さんが、ひた隠しにしていた秘密を女に話すのも、互いに好意以上のものを持つに至っているからだ。だから、「幸福の …」においても、好意であれ悪意であれ、3人の距離を縮める手立てをしなければいけない。先の、「桃井の父」の話はその手立てのひとつになるはずだ。そして武田は、健さんに接近した桃井を取り戻すために、一緒に旅を続けるのである。

こういう三角関係が成立したところで健さんは、桃井の問いに応える形で、妻のこと、黄色いハンカチの話をする、と。聞いた若いふたりは、妻が待ってる・待ってないで意見が分かれ、どっちが正解かそれを確かめるために(賭けなどもして)、躊躇う健さんを無視するようにして、夕張行きを急ぐ…、というような流れにすれば、「幸福の …」は、もう少し「見られる」作品になったのではないか。

長くなり過ぎた。あともう少しで終わるのだが、続きは次回に。

 

 

 

 

 

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