竹内銃一郎のキノG語録

「ストレンジャー・ザン・パラダイス」のラストシーン2012.01.21

石原慎太郎が芥川賞の選考委員を辞めたらしい。理由は飽きたとのこと。
ということは、今までそんなに飽きずにやってたわけだ。ふーん。都知事も辞める辞めるといいながら、いま何期目になるのだ[e:3]
都知事はもちろん、芥川賞の選考委員というのも、いわば公職で、そういう公職にひとりの人間を長く就かせておくのはよくないし、大体、自分で退けよ。気づけよ、それくらい。だから退いた? 遅いツーの。
前回の続きだが。
ストーリーの紹介が面倒になってしまった。大体、ストーリーってなに[e:3]
「ストレンジャー…」も「男は…」も「座頭市」も、ストーリーにまとめてしまえば、実際の映画ほどの差異はなくなってしまう。どれもロードムービーだし。
ストーリーだの俗にいうテーマだのは、結局、互いの差異を掻き消し、実体を見えなくさせるものなのだ。
「ストレンジャー…」はまことにひとを食ったような映画で、ニューヨーク、クリーブランド、フロリダと、彼ら3人は移動するのだが、どこへ行っても、カメラは部屋からほとんど出ないのだ。だから結果として、どこ行ったって同じ、ということになる。いうなれば、反(半?)ロードムービーなのだ。
いわゆる事件などほとんど起こらない。けれど、殺人や恋愛だけが映画的事件じゃない、というか、それらを写したって、ほとんどの映画は映画になってない。
ラスト近く。フロリダのモーテルの一室。朝。ハンガリーの女の子が目覚めると、ぶらぶら男たちがいない。また彼女を置き去りにして競馬に行ったのだ。
彼女は、クソッと言って立ち上がり、タバコを探すために部屋を一周し、寝ていたソファーに戻ってタバコに火をつける。この一連の動きのリズム、スピード、隙のなさ、心地よさ。美しい[e:734]
これこそ〈映画の事件〉と呼ぶべきものなのだ。

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