竹内銃一郎のキノG語録

記憶に残るもの、残らないもの 「宮本武蔵 巌流島の血斗」を見る。2015.01.05

昨日今日と競馬三昧。惜敗 😳 暮れの有馬記念は、状態がいいと思った5頭のうち4頭が5着までに入ったのだが(凄い!)、本命にしたフェノーメノだけが着外。南無三! まだあれから一週間しか経っていないのに、遠い昔の出来事のようだ。嫌なことは忘れるに限る。

テレビからいわゆる演芸番組が一掃されて久しいが、年末年始はこれでもかとばかり「お笑い番組」が流れていた。別になんの義理もないのだが、そのほとんどに付き合う。MVPはザ・ぼんち。どこか壊れているのではないか(多分、壊れている!)と思うようなエネルギーの噴出で他をなぎ倒したの感。まるでホークスの内川のような安定感を見せたのがナイツ。他が同じネタを繰り返す中で、彼等のみが複数のネタを披露。中でも「小尽くし」(わたしが勝手に命名)は傑作。ロッチも絶好調。数年前まではこの種の番組の常連だったチュートリアル、ブラマヨ、フットは一度も見なかった。もう漫才はやめちゃったのかな。ネタを作り続けるキツさに負けたのか。「アメトーク」のような番組は、大勢でやる漫才みたいなもので、あれはあれでやってる当人たちもスリリングで面白いのだろうけれど、でも、ひとも番組自体も結局のところ消耗品に過ぎず、まったくわたし(たち)の記憶に残らない。TVは通り過ぎるだけのものだから、この種の番組こそ「TV的」の最たるものなのかもしれないが。

記憶といえば。暮れに、東映版の「赤穂浪士」と「忠臣蔵」を見て、幾つかのシーンが記憶に残っていたのに驚いた。前に見たのは、わたしが小学生の時だから、半世紀以上前のことなのだが。前者の市川右太衛門演じる大石内蔵助と片岡千恵蔵演じる立花左近の長い長い睨み合いのシーンと、後者の中村錦之助演じる浅野内匠頭の切腹のシーンだ。構図、色彩等も、鮮やかに甦った。その時はもちろん、今でも勅使がどうのこうのというのが不明で(なんの説明もない)、だから、話のそもそもがよく分からないのだが、そんな分からなさを補って余りあるのが、俳優達の演技の素晴らしさだ。誰もが適役。緊張感が途切れないので、上映時間の3時間があっと言う間に過ぎた。

内田吐夢監督の「宮本武蔵 巌流島の血斗」をようやく見る。4部までは二年前に見ていたのだが、この完結編の第5部だけ見逃していたのだ。というか、学生の頃に池袋の文芸座のオールナイトでまとめて全部見ていたはずなのだが、多分、5部は寝ていたのだろう、まったく記憶がなかったのだ。

「錦ちゃんざんまい」というサイトによると、第一部から4部までは原作の三分の二に相当し、だから、残りの三分の一を5部で処理しなければならなかったから、重要なエピソードがずいぶん端折られているらしい。確かに、武蔵と幼馴染の又八の再会も、又八と朱美の間に子供までいることも、ともに唐突で、なおかつ、そこへ又八の母親まで登場するのはあまりにご都合主義的だとは思ったが、それが逆に、物語にスピード感を与え、小次郎との決闘へと向かう武蔵の高揚感を観客に同期させる効果にもなっているのだ。この映画の俳優たちもみんな適役。監督以下スタッフ・キャスト全員のこの映画にかける気迫がこちらに伝わってきて、まさに全編名場面の連続。途中から、まるで酒でも飲んだみたいに酩酊状態になってしまう。うん? 若い頃に見たときにもそういう状態になってしまって、その挙句に寝てしまったのかも?

近年になって内田吐夢の評価が世界的に高まっているらしい。遅きに失したとは言え、とても喜ばしい。まあ、わたしにしてからが「吐夢、凄くないか?」と気づいたのはこの数年のことだから偉そうなことは言えないのだが。因みに、去年の回顧で、今年刺激を受けたものとして挙げた、「逆襲獄門砦」ってなに? と複数のひとに聞かれたが、これも内田の50年代の傑作。この映画についてはいずれ改めて。

 

 

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