竹内銃一郎のキノG語録

世界には2種類の人間がいる 亀井亨の先見性2012.03.08

このところのメディアは、当たり前のことだけれど、「震災から1年」をじゃかじゃかやっている。
もちろん、それを非難するつもりはないけれど、少なくともわたしの個人作業レベルではいつも、そういう<大きな問題>に飲み込まれまいと心がけている。
この間の日曜。久しぶりに会ったひとのあまりの変貌ぶりに驚いたこと。かっては謙虚で、自らの仕事にも真摯に取り組んでいるひとと見えたそのひとが、ひどく傲慢で、なおかつ、仕事の仕方がとてもいい加減に思えたのだ。
わずか30分ほどの<語らい>であったが、その30分は砂を噛むような時間で、口直しにケーキをたらふく食べてやろうとデパートに立ち寄り、買い物をすませて電車に乗らんとしたときに、キイーケースがないことに気づく。
慌ててさっきのケーキ屋に戻って事の次第を話したのだが、そんなものはありません、と言われる。お金が1万円ほど入っていたから、多分出てこないだろうとは思ったが、一応、デパートの遺失物係りに届けで。ああ、部屋の鍵がないし、なんて一日だと途方に暮れながら歩いていると、なんと遺失物係から電話が。見つかったのだ!
禍福は糾える縄の如しとはよく言ったもので、上機嫌にすごした土曜から、暗い日曜日、それが、最終回2アウト、ランナーなしからの大逆転劇といった感じで。
いや、なにが書きたかったかというと、この程度の一喜一憂からだって劇は生まれる、ということなのだ。
震災が明らかにしたもの。それは多分、それまで漠然としたものでしかなかったわたしたちの<不安>を、はっきりと具体的に形にして見せたことだろう。
そして、ことを厄介にというか、更により具体的に<問題>の所在を明らかにしたのが、原発というわけだ。
<原発>さえなければ、心優しき人々は、ガンバローとか絆とか言ってれば、自らの<良きひと性>を信じることが出来たはずなのに。
遅々として進まない廃棄物処理。自分たちの地域への廃棄物持込に反対するひとたちの大半は、間違いなく、被災地のひとびとに向けて励ましのエールを送り、義援金を差し出した<心優しき人々>だろう。
心優しき人々は、子供を汚染させたくないといい、美しいわたしたちの土地を汚したくないという。もっともな話 である。でも、そんなことを言ってたら、いつまでも被災地の復興は進まない。
どうしたらいいのか?
世界はふたつに分かれてる。強いものと弱いもの。富めるものとそうでないもの。はっきりしたのはこのことだ。
わたしは大穴狙いの賭博うちだから(小心者の証拠)、いつも少数派(=勝ち目の薄い方)に小額を賭ける。
演劇に出来ることなど高が知れている。少なくとも、<癒し>などという曖昧な幻想を振りまく言葉が無効になったことは結構なことだ。
とりあえず、己の2本の足で立つこと。事はそこからしか始まらない。
この日曜に見た亀井亨の長編映画第一作「心中エレジー」は、2004年に公開されたもののようだが、こういう言い方は俗っぽくて嫌いだが、今日の震災以後を予見した見事な作品。
この映画については、また改めて。
そういえば、亀井は「ミルク 滴る女」の中で、ヒロインに、「世界には2種類の男がいる。まずわたしの胸を見る男と、ほとんど見ない男と」と言わしめていた。凄いね、このひと。

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