人差し指一本で世界と … 「君とボクの虹色の世界」を見る2015.01.11
妻が男を作って、(なぜか)息子ふたりと家を出て行くことになった夫が家族の最後の記念にと言って、庭に出て自分の手にガソリン(?)を振りかけ、手が燃えるところを、部屋でパソコンをいじっている息子たちに窓越しに見せるシーンで、あれ、これは前に見たことが? と気づく。「君とボクの虹色の世界」である。
数年前にNHKのBSで、サンダンス映画祭受賞作の連続放映があって、その時に見たのだ。というか、その時は、始まって15分ほどでメンド臭そうな映画だと思い、見るのはやめてしまった。今回、CSで放映されたのを見たのは、これが「ザ・フューチャー」のミランダ・ジュライの映画であることを知ったからだが、「ザ・フューチャー」を見ていなかったら、今回も途中で見るのを止めただろう。いや、見ようとも思わなかっただろう。題名も忘れていた。
映画であれ芝居であれ小説であれ、冒頭から10分くらい退屈な時間が続いたら、それ以後俄然面白くなるということは滅多にないが、この映画は例外中の例外だ。「短気は損気」になるところだった。
しかし、退屈というのとはちょっと違う。冒頭から、いろんな人物・エピソードが次々と(この時点では)ほとんど脈絡なく繰り出されるので、なにが始まろうとしているのかが分からず、先にも書いたように、それでメンド臭いと思ってしまったのだ。
ミランダは映像作家で、それでは食えないから「高齢者用タクシー」の運転手をしている。妻に逃げられた男は靴屋の店員。ミランダは、タクシーのお得意さんの老人がスニーカーがほしいというのでデパートの靴屋に行き、そこで「男」と出会って、なぜかその男に恋をしてしまう。そして、ストーカーまがいの行為までする。
男の元・妻は黒人で、中学生と小学生(ともに推定)のふたりの息子も色が黒い。ふたりはいつもパソコンで、あれをチャットというのか、見知らぬ女と猥褻なことばのやりとりをしている。
引っ越した先の隣の家には、10歳くらいの女の子がいて、彼女の両親も離婚したらしく母親とふたり暮らし。この子は、20年後の我が家を想定して(幸せな結婚生活を前提に)、自分の宝箱の中に、オシャレな電化製品等々を買って収めている。
男の同僚(巨漢!)も離婚していて、いまはやもめ暮らし。ある日、近所に住んでいるらしいふたりの若い女に声をかけられる。彼女たちもまた(?)、性に過剰な好奇心を持っていて、この男に性的挑発を繰り返す。その一方で、先のふたりの息子・兄に、擬似性行為(書き方が難しい)を要求し、彼はそれに応え、その様を隣の女の子が窓からそっと覗き見ている。まだまだこの他にも可笑しな人物・エピソードが間断なく繰り出されるのだが、それらに共通しているのは。
アニメなどでよく見られる、ビルの屋上や崖から落ちそうになっていて、でも人差し指一本で落下に耐えるギャクがあるが、あれと同様、この映画の登場人物たちもみな、人差し指一本で、世界からの落下を耐えているかのようだ。そんな孤独との苦闘が胸をうつ。しかし、そのそれぞれの人差し指が、彼等をつないでいるのだ。そのように感じさせるラストの数分が素晴らしい。
他にも印象的なシーンは多々あるのだが、とりわけ次のふたつのシーンが心に残る。
ひとつは、男が勤める靴屋でのシーン。ミランダは靴屋で妻と言い争いをしている男を見て、ふたりは縒りを戻したのかと誤解し、絶望し、自分の車の窓ガラスに「FUCK!」と殴り書きをして車を暴走させたりするのだが、それでも諦めきれずまた靴屋に出かけて、コンパクトの鏡がとれてしまった、なにか糊のようなものはないかと男に近づく。男は靴用のものでよければと糊を持ってきて、鏡に糊をつけてそれを指で押さえ、しばらくこうしていないとくっつかないと言う。そして、ふたりは小さな鏡の上にそれぞれの人差し指を乗せたまま、しばらく黙って見詰め合う。
もうひとつは。息子・兄が、隣の女の子の部屋を訪れ、持ってきた小さなぬいぐるみを差し出して、これをきみの宝箱に入れてくれないかと言う。そして、きみのマイホームのインテリアはどんな? と聞くと、女の子は男の子を床に寝かせ、自分も隣に横になり、あれこれと「夢」を語る。そして、ベビーがわたしの本当の宝物だと言う。男の子は、天井に取り付けられた火災報知機(?)を指して、ぼくの家はアレでいいと言い …
ともに、切ないけれど妙にエロチックな、極上のラヴシーンだ。