竹内銃一郎のキノG語録

自我は消滅する?  ロボットの人間化から人間のロボット化へ2015.01.12

すでにお気づきの方もおられるかも知れませんが、アーカイヴに掲載されているチラシが一気に倍増しました。21世紀に入ってからのわたしの仕事がほぼ網羅されています。ご協力いただいた方々にはこの場を借りて、改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。今後はとりあえず、96年までの5年間分の掲載が目標ですが、しかし、先は長いというか、ずいぶん長いこと芝居に関わってきたものだと、改めて驚く。多分、百本以上はやってるはずだから …。全部掲載となると、夏までに終わるのだろうか?

先週の日曜に放映された、「NHKスペシャル ネクストワールド」では驚くようなことが語られていた。今から30年後、2045年には平均寿命(日本人の?)が100歳になっているというのだ。老化を止める薬はおろか、若返りの薬まで、動物実験では実効性が確認されているらしい。また、それらとは別に、ナノマシーンなるものが開発されて、それを使えば天敵ともいうべき癌の退治も劇的な効果をあげるという。このナノマシーン、わたしの理解では(間違っているかもしれない)、カプセルのようなもので、そこにナノ単位の抗がん剤を入れて体内に送ると、癌細胞以外も攻撃していた従来の抗がん剤と違い、癌細胞だけを攻撃するので、患者の抵抗力を低下させることはないらしい。更に。抗がん剤だけではなく、様々な薬をこのマシーンに入れて、常に体内を循環させれば、体の中に医者と病院が常駐している状態になり、ほとんど病気にはならないだろうというのだ。ホンマでっか?!

近年、ロボットの人間化が長足の進歩を遂げているが、一方で、上記の話が本当なら、人間のロボット化が着々と進行していることになる。

前にもとりあげた柏木博の『探偵小説の室内』には、こんな文章もある。

フロイトは「不気味なもの」として、先例にしたがって蝋人形や精巧な人形そして自動人形などをとりあげ、その不気味さの要因を「ふだん見慣れている生命あるものの姿の背後に隠れているかも知れない自動的なー機械的なー動きの予感が呼びさまされるからである」と分析している。このことは、容易にドッペルゲンガーへと連鎖していく。ドッペルゲンガー(二重自我)とは、そもそも自我の消滅に対する保証であり、「死の偉力を断固として否定すること」であり、「不死」の魂が、肉体のドッペルゲンガーであったのではないかと、フロイトは分析する。

これは、「自我消失の恐怖とドッペルゲンガー」というタイトルで、ポオの「ウイリアム・ウイルソン」について書かれたものの一部だが、前述したように、体内に医師・病院が常駐している状態が当たり前になったとき、「自我」などと呼ばれていたモノはどうなるのだろう? それこそ、自我=魂は消失して、ドッペルゲンガー(=もうひとりの、わたしに似たわたし)としての肉体だけが残るのだろうか?

長生きしたいなどと夢にも思っていなかったが、10年後20年後の人間がどうなっているのか、俄然興味が湧き出し、それを確認するまでは死ねないな、と思っているこの数日である。

でも、みんなが100歳まで生きたら、この国の年金制度や保険制度はいまのままではもたないことは明白だから、ほんとにどうなるんだろう?

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