驚きの数字 「『ボヴァリー夫人』論」の註+書誌で100頁!2015.02.07
またまた愚かな間違いを。単純な計算ミスです。前回、映画「紅孔雀」の原作は15分×約200回という膨大なもので …と書きましたが、一年は約50週あり、毎週月~金で放送されていたのだから、200ではなく250回ですね。なんともお恥ずかしいかぎりですが、なんと、蓮實先生も「『ボヴァリー夫人』論」で同様のミスをしておられた。同書のp159にこんな記述がある。
ルーアンからヨンヴィルの距離が「八里」、すなわち約20キロと明らかにされていたからだが
普通、一里は約4キロとされているので、約20キロではなく約30キロのはず。怜悧な先生でもこんなケアレスミスをおかすのだから、わたしが繰り返しミスをおかすのも、と言いたいところですが、しかし、原稿2000枚の本ですからねえ。それに、巻末の註だけで70頁、更に書誌(参考にした本の一覧)が30頁! 常人のなせる業とは思えない。
ところで、先の「紅孔雀」のラジオドラマは、一回分の放送時間は15分だったわけですが、原稿にすると、多分この頃は1分200字計算だったはずだから、400字で7~8枚だったはず。この推測が正しいとすると、原作の総枚数は、50×5×8となり、なんと「『ボヴァリー夫人』論」と同じ2000枚! なんという偶然、なんという符合!
話かわって。このところ、アーカイヴに掲載する公演チラシ捜しに奔走(はオーバーですが)していて、やっと浦和の自宅で捜しあてた『夢みる、力』のチラシには、次のような惹句が記されています。
走れ 大地を 力の限り 泳げ 精々 力の限り 君等の腕は 君等の足は
我等が日本の 青年日本の 腕だっ 足だっ
これは、「走れ大地を」という歌の歌詞。二人三脚でオリンピックを目指している兄弟を物語の中心に、という構想があったので、1940年に開催が予定されていた東京オリンピックのために作られた(と思っていた)この歌の歌詞を引用したのでした。しかし、日中戦争のために開催を辞退し、東京でのオリンピックは幻となったわけですが、因果はめぐると言いましょうか、わたしめのホンが書けず、われわれの公演も中止に。長い間、あんな歌詞をチラシに載せたからあんなことに …と、書けなかったことをあの歌詞のせいにしていたわけですが、これが、「走れ大地を」に言わせれば(?)とんだ濡れ衣だったことが、つい昨日判明。ウィキで調べたら、この歌は東京オリンピック用に作られたのではなく、1932年のロスアンジェルス五輪のために作られたもので、「国際オリムピック選手派遣応援歌 走れ大地を」が正式なタイトルらしい。いやはや。
先の「二人三脚」とは比喩ではなく、そういう競技が「東京オリンピック」に採用されることになって …ということですが、なぜそんな話を思いつき、いったい何を書こうとしていたのか? 幾ら30年以上も前の話とはいえ、なにひとつ覚えていないというのは、要するに、苦し紛れの思いつき以外のなにものでもなかった証拠で、だから書けなかったのでしょう。
30年前のわたしに言ってやりたい。80歳に届こうかという高齢でありながら、本の山と格闘しながら2000枚の原稿を書き上げた、蓮實先生の爪の垢でも飲みやがれ、と。
註)「走れ大地」の、腕は「かいな」と読み、最後の「腕だっ 足だっ」の「っ」はわたしが勝手につけ加えたもの。