竹内銃一郎のキノG語録

パン爺と呼ばれた少年2015.02.10

暇にまかせて(?)、過去の作品で公にされていない戯曲をデータ化しているのですが、その第2弾「パン爺と呼ばれた少年」を書きおえたので、お読みになりたい方は、例によって<リクエスト>経由でご連絡下さい。

これは、埼玉芸術劇場の制作で上演された「21世紀グリム」シリーズ(2001年~03年)の、最後の作品となった『クロー婆と三色すみれ』に収められた4本の中の1本。はっきり覚えていないんですが、上演時間30~40分だったか、と。以下がこの戯曲の登場人物表。

ノン(クロー婆)

パン爺(敵軍の少年兵)

オト(ノンの父)

ザンネ(近所のおばさん)

クレオ(ザンネの息子 傷病兵)

トモリ(村長)

ワキヤ(出征する少年兵)

マリア(小学校の先生)

ユウ(ノンの友だち)

ミイ(ノンの友だち)

カナリ(村の駐在)

このシリーズは、「21世紀グリム」と銘打ってるように、すべての作品はグリム童話をもとにしていて、これは、「めっけ鳥」と「十二人兄弟」をヒントにして書かれています。

舞台は日本ではないどこかの国の小さな村。時代もいつとは特定できないけれど、戦時下にあるという設定。主役ともいうべきパン爺は、この村(国)から見れば敵兵ですが、彼が足を負傷して倒れているところを木こりのオトが見つけ、自分の家に連れ帰って、蔵に住まわせている、と。もちろん、そんなことが他の村人に知れたら大変で、パン爺もそのことが分かっているので、迷惑をかけてはと出て行こうとするのですが …、というお話。

以前に書いた時から気になっていたことがあり、それは、パン爺が村人に見つかったあとの決着のつけ方が甘すぎやしないか、と。そう、何度か前に書いた、後藤氏は結局解放されるのではないかと思っていた、あの甘さと同じ甘さです。どう書き換えようかとかなり考えたのですが、多少の手直しにとどめました。居直るわけではないけれど、甘さはわたしの美点(他に適当な言葉が思い当たらないのでとりあえずこう書きますが)のひとつではないかと思ったのです。

今日のお昼過ぎ、「劇研」の杉山氏とかなり長い時間雑談をしていたのですが(気がついたら3時間!)、その話の中で彼から、「竹内さんは、作風がいろいろどんどん変わりますよね」と言われ、「わたしは飽きっぽいから」と応えたのでしたが、杉山氏がこの戯曲を読んだら、どれだけ変われば気がすむんだ! と思うのではないか、と。

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