映画版「愛の渦」の無策の原因と不幸について2015.03.09
久しぶりに「映画芸術」を手にする。去年公開された映画のベスト・ワーストワンが載っていたからだ。といっても、立ち読みですが(荒井晴彦さん、すみません)。ここでも、「舞妓はレディ」はベスト10に入らず、元・文部官僚で批評家の寺脇研は、「趣味的な映画」というような形容でワーストに挙げていた。なに、コイツ、エラそうに。
同じワーストには、三浦大輔の「愛の渦」も挙げられていた。こちらには納得。残念ながら映画になっていないのだ。それも、わたし(たち)が映画だと考えるものの枠から過激にはみ出している、というわけではなく、日々漫然と垂れ流されている多くの「映画らしきもの」の下の方にちんまり納まっているような意味での。
舞台演出家としての三浦は、現在のこの国では数少ない、優れた舞台作りをする演出家として、わたしは高く評価しているのだが、舞台と映画のこのあまりの落差はなんだろうかと考えてしまった。そして、小津、黒澤、マキノ等々の、多くの優れた映画監督が口にする「映画は編集で決まる」という言葉を思い出した。三浦はこのことがよく分からないのだろう。というか、そういう視点から映画など見たことがないのだろう。
先週、東映チャンネルで見た「旗本退屈男 謎の幽霊船」があまりに面白く、ネットで検索したら、この映画の監督・松田定次の助監督を長く勤めた沢島忠が松田について語っているサイトを発見。「松田は編集の鬼みたいなひとで、自身が撮った映画を映画館で見た際、編集中からずっと気になっていたあるカットの2コマがやっぱり余計だと思い、映画が終わったあと映写室に飛び込んで、その余計な2コマを自分でカットした」というエピソードを披露している。
松田は、日本映画全盛期、東映京都撮影所の「天皇」と呼ばれていたひとで、「次郎長もの」「忠臣蔵」等、当時のいわゆる東映オールスター映画の多くは彼の手になるもの。通常の映画なら主役を演じる多くの俳優に、それぞれしかるべき役を配し、芝居のしどころ・見せどころを按配しているのは当然のこととして、松田の映画はどれも、流れるようにお話が展開するのだ。いうなれば、名調子の講談の趣。とにかくスピーディ。馬もひとも走る走る。沢島の語るところによれば、カット数の多さにおいては日本随一で、撮りあげた千数百カットを編集して千カットにまとめるのが彼の方法だったという。
前述の「旗本退屈男 謎の幽霊船」は、当時の多くの大衆娯楽映画同様、ストーリー自体はご都合主義もいいところ。主役の旗本退屈男こと早乙女主水之介は、「また退屈の虫が騒ぎ出したわい」とか言って、全国津々浦々を旅し、彼が行く先々で必ず事件が起こり、それを瞬く間に解決してしまうのだが、しかし、その解決法たるや強引きわまるもので。この映画でも、見ず知らずの屋敷に、「ごめん」のひとことで侵入し、座敷でひとが殺されているのを発見すると、首に刺さった毒矢を引き抜き、「うん? 矢先に塗られているのは琉球のハブの毒に違いない」と言い放つ。これ、明らかに不法家宅侵入と犯罪捜査の妨害の罪を問われますね。それに、毒物研究者でもない彼が、なぜすぐにそれがハブの毒だと分かったの?! この種のことが次から次と繰り出され(ツッコミどころ満載!)、退屈男はほとんど傍若無人の男です。でも、そんなことは小さい小さいと笑ってやり過ごせるのは、先にも書いたように、スピード感が半端ないからでしょう。
映画監督や演出家や俳優を目指すいまの若いひとたちが不幸なのは、子どもの頃に、松田等が営々と作っていた大衆娯楽映画(=フツーの映画)に日常的に触れていないことで。それと、山田洋次の「ちいさなおうち」を取りあげた時にも書いたが、現在の日本映画のスタッフ力の著しい劣化が後押しをして出来上がった映画が「愛の渦」ではなかったか、と。