竹内銃一郎のキノG語録

映画はとっくの昔に消えてなくなっている? 「グランド・ブダペスト・ホテル」ノート①2015.03.15

「グランド~」の存在を教えてくれたのは、土橋くんだった。去年のあれはいつ頃だったのか。それは「ファンタスティックMr.FOX」を撮ったウェス・アンダーソンの新作で云々と聞いて、へーと驚き。わたしは21世紀になってからの、とりわけ外国の映画事情をほとんど知らず、だから、「ファンタスティック~」の監督が、アニメだけではなく実写の映画も撮っているということを、その時初めて知ったのだった。

わたしは疑りぶかい、というより用心深い。前回書いたように、「グランド~」にすっかりマイッてしまったのだが、少し時間が経つと、自分は<悪い女>に引っかかったのではないかと疑念がわいてきた。こんな<わたしのために誂えたような>映画があろうはずがない。そう思って、<悪い女>の化けの皮を剥がすべく、もう一度見直した。

案の定、ひとつふたつと気になるところが見えてきた(ような気がした)。現在のホテルの持ち主であるゼロ・ムスタファが「お話」を語り始めてからだ。「お話」の主人公であり、ゼロがベルボーイとして潜り込んだこのホテルのコンセルジュであり、ゆえにゼロが師と仰ぎ、ともに<事件>を解決することになる、グスタブのひととなりを、縦・横自在に滑るように移動するカメラで、アッと言う間に紹介してしまうその手際が鮮やかすぎて、逆に、嘘臭く感じられたのだ。わたしが見たいのは、映画であって、しかし映画を超えたもの、映画から外れてしまうことをも厭わない映画なのだが、これはあまりに<映画的>な枠に納まりすぎている。それを不満に感じたのだった。しかし。

この映画は、一冊の本を手にした若い女子高生くらいの女の子が、街の墓地を訪れるところから始まる。彼女は胸像の前まで来て足を止める。「記念すべき国の宝」と書かれ、にもかかわらず、「作家」とのみ記されて「名前」のないその胸像の土台の四方には、沢山の「ホテルのルーム・キー」がかけられていて、彼女もポケットから鍵を取り出し、そこにかける。そして、持参した、その胸像の「名のない」作家が書いたと思われる「グランド・ブダペスト・ホテル」を、カメラに向けて(?)差し出し、裏表紙には著者の写真が印刷されていることを明らかにする。

映画が始まり、前述の不満がアタマを持ち上げた頃、ふとこのことに、小説の著者の名が最後まで明らかにされないことに気がつき、アッと思った。匿名?!

1968年に、後に「国の宝」となる「名のない」作家は、「作家熱」を癒すために、タイトルのホテルに滞在し、そこで出会ったゼロ氏に聞いたを話をもとに、彼は「グランド・ブダペスト・ホテル」を書くことになるのだが、ゼロ氏の「お話」が終わって、別れ際に、作家は改めてゼロ氏に聞く。あなたはなぜこの<デカダンな>ホテルを全財産をはたいてまで手に入れたいと思ったのか、と。「これが、消えてしまった(グスタブと過ごした)世界との最後の絆だから?」「NO.アガサ(若くして亡くなったゼロ氏の妻)のためだ。短かったけれど楽しかったからね」そして、ゼロ氏はさらに次のように言う。「グスタブの(古きよき)世界は彼がここに来る前にもう消えていた。でも、彼は見事に幻を維持して見せたんだ」

このゼロの言葉をW・アンダーソンの映画への思いでもあると考えるのは、あまりに安易で古めかしくもあろうが、しかし。映画はとっくの昔に消えてなくなっているという認識と、先の「匿名性」の問題(?)がこの映画の大きな二本の柱だと考えると、先のわたしのこの映画への非難はいかにも皮相で、ああ、穴があったら入りたいのココロよ。(この稿、続く)

 

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