竹内銃一郎のキノG語録

箱の中身はなんじゃろな?  「グランド・ブダペスト・ホテル」ノート②2015.03.16

この映画の8割ほどを占める「お話」は、箱入り娘よろしく、三重の箱に納められている。

一番外側の箱の主役(?)は、「作家」の胸像が置かれた墓地を訪れる少女で、映画は彼女から始まり、胸像の傍らに置いたベンチで「グランド・ブダペスト・ホテル」を読む彼女で終わる。

1985年と字幕が入るふたつめの箱は、「作家」が、自宅と思しき室内で、カメラを前に、「作家は、頭の中に次々と湧き出てくるアイデアをもとにして書くのではなく、ネタは勝手に向こうからやってくる。いろんなひとがいろんな話を聞かせてくれて、それをもとに小説を書くのだ。これもそんなところから始まっている。」というような話をする。こう書くとなんでもないシーンのようだが、このシチュエーションがなんだか分からない。テレビ番組用に撮られたものなのか、それとも、途中で小さな子どもがフレーム・インしてしまうから、番組本番前のリハーサル・稽古用に撮られたものなのか、あるいは、私的な記録のために撮られたものなのか。映画が始まって間もない、ここでの曖昧さ、不可解さ、「お遊び感」が、この映画全体のテイストになってもいるのだから、一事が万事、この監督のやることには隙がない。

3番目の箱にも1968年と字幕が入っている。作家が件のホテルに宿泊し、そこでゼロ氏と出会って、小説のもとになる話を彼から聞き、いよいよ「本体」ご開帳の運びとなるのだが、ここでも先の「箱」の「作家」の息子と思しき子ども同様、「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する「ねずみ男」に似た風貌のジャレ(ホテルのボーイ)が、笑いを誘う活躍を見せて、ゼロ氏と「作家」の静かなやりとりを異化し、活性化する。

「お話」の始まりにも1932年という字幕が入り、5つの章立てになっていて、それぞれにタイトルが付されている。まさに「お話」然とした構えだ。因みに、1985年、1968年、1932年とはそれぞれどういう年であったのか。隙のない監督がやることだから、任意に選ばれたものではあるまい。というわけで、ウィキでざっと調べてみると。

1985年は、ゴルバチョフがソ連の書記長に就任した年で、ここから、この国を頂点としたヨーロッパの東側諸国が崩壊の道へと進むことになる。日本は民営化元年で、専売公社はJTに、電電公社はNTTになり、そのNTTがハンディ型の携帯電話を発売したのも、Windowsが発売されたのもこの年。つまり、現在のわれわれのフツーの生活スタイルの始まりの年というわけだ。

1968年は、チェコスロヴァキアではソ連に反旗を翻す「プラハの春」が起こり、フランスでは学生たちが主導した「五月革命」が起こり、日本でも、「全共闘運動は、68年初めから69年にかけて、東大・日大闘争に併行して自然発生的に、「燎原の火のように」[2]全国の大学へ広がった」(ウィキ引用)。つまり、旧体制に対しての、学生を中心とした若者たちによる激しい異議申し立てが、全世界的になされた年だ。

1932年は、世界恐慌の影響で深刻な経済不安に陥った欧米諸国(の市民たち)が、共産主義に希望を見出しすキッカケとなった年。因みに、「作家」が、彼(グスタブ)がいた(古きよき)世界と称したこの年に公開された映画には、H・ホークスの傑作「暗黒街の顔役」と、そして、この年のアカデミー賞の作品賞を受賞した「グランドホテル」がある 😯 !

クソッ、なんて猪口才な小僧だ、ウェス・アンダーソン!(この稿、さらに続く)

 

 

 

 

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