恥ずかしすぎる訂正を2015.03.16
いやあ。またまた間違いを。しかも、今回は無知ゆえのもの。すでにお気づきの方も多々おられたかと思いますが、そう、ブタペストではなく、ブダペストなんですよね。わたし、この年になるいまのいままで、ハンガリーの首都はブタペストだと思い込んでいたのです。先の原稿を書いた後、なぜウェスはブタペストを選んだのだろう、と辞書で「ブタペスト」を引いたら「ブダペスト」が出て、ハァ? と、そこで自らの過ちに気づいたのです。
恥ずかしい。もうひとつ、恥ずかしい 😥 。
ついでにこの際、似たような恥ずかし過ぎる間違いを披露いたします。先頃やっと、蓮実重彦の『「ボヴァリー夫人」論』を読み終えたのですが、この小説の著者のこと、いまはちゃんと、ギュスターヴ・フローベールだとその名を認識しているのですが、あれはどれほど前のことか、なにかの芝居の稽古中、わたしが書いた戯曲に、彼の名が語られるシーンがあって、その時、演出助手をやってくれていた女性が遠慮がちにおずおずと、「これ、正式にはフローベールと言うと思うんですけど」と言う。わたしは「フローベル」と書いていたのだ。もちろんその時も、ずっとそれが正しいと思っていたから、え? と驚き、「フローベール? 変でしょ、それ。仮に正式にはそうであっても、フツーはみんな、フローベルと言ってるからこれでいいんだよ」と、確か大学でフランス文学を勉強していた、真面目で賢い彼女の意見を退けたのだった。ごめんなさい。彼女の名前も忘れてしまったから、もう一度、ごめんなさい。
どうなんでしょう? 開き直るみたいですが、昔はみんな、ブタペスト、フローベルと言ってたんじゃないんですか? フローベールはFlaubertで、これ、フローベルと読めなくもないでしょ。わたしが生まれるもっと昔、日本では、ゴッホのことゴーグと言ってたんですよ。画家の佐伯祐三がフランスから日本の友人に送った手紙にそう書いてます。Goghをローマ字読みしたんですね。これは1920年代の話。ショパン(Chopin)をチョピンとか。しかし、いま辞書で調べたら、ブタペストはBudapestとあって、これはブタペストとは読めないし …。
うん? そう言えば、うちの父親くらいの歳のひとの多くは、濁音と半濁音を混同して使ってたな。デパートをデバートとか、バスをパスとか。あれの類かな、ブダペストをブタペスと思い込んでいたのは。そうだ、そういうことにしておこう。息子の恥は親の責任ということにして。
というわけで、これまで「ブタペスト」と書いたところはみな、「ブダペスト」に訂正しておきました。