竹内銃一郎のキノG語録

鈴木忠志さんの新刊「見たり聴いたり1・2」を読む2012.09.26

日曜日、大学の公開講座で福島の川俣町に行く。あいにくの雨降りも手伝ってか、200人ほど入る会場に、40人ほどの人々がパラパラ。
午前中は、他学部の先生による、栄養や健康の話。仮設住宅に住んでいる子供たちに、運動不足からくる肥満が目立っているとか。肥満予防がテーマであった。
午後の最初は、建築学部の先生で、高齢者及び認知症の人々の共同住宅はどうあるべきか、というお話で、聴衆の大半はわたしより年上と見られたので、まことに有意義なもの。
最後にわたし。福島ということもあり、隣の山形出身の井上ひさしさんの戯曲「父と暮らせば」について話そうと準備していったのだが、壇上に立ってまったく自信がなくなる。なにをどう話したらいいのか。
前のふたつは、ひとが生きていく上でとても為になる話だが、わたしの話は生きていくために必要か、と考えたら…
一応予定の80分が埋められるよう準備してあったのだが、あれもいらないこれもいらないと話しているうちに削っていったら、60分で終わってしまった。
久しぶりに池袋の家に帰ると、鈴木忠志さんの新刊「見たり聴いたり1・2」が届いていた。
鈴木さんは、現存の日本の演出家ではもっとも尊敬しているひとであり、なおかつ、お世話になったと思っているひと。お世話になった?
わたしの最初の劇団である斜光社の4本目の「檸檬」を見に来ていただいて、面白いというお手紙をくれ、更に、知り合いの新聞記者や評論家に「あれを見よ」とわざわざ電話してくれたのだ。
鈴木さんが言うならと多くの批評家が来て、なおかつ、雑誌等に好意的な批評を載せてくれた。
送っていただいた本の中にも書いてあるが、鈴木さんに対する毀誉褒貶は厳しい。いろんなひとがいろんな角度から非難する。当たっていなくもないところもあろう。でも、まあ優れた表現者は例外なく非常識人であり、言い方を変えればエネルギーが旺盛過ぎるひとであり、ただの普通のひとであるジャーナリストや批評家などの理解から外れるのは当たり前なのだ。
もうずいぶん前になるが、その鈴木さんにこんなことを言われた。
「竹内、30過ぎて暗いヤツは、ただのバカだぞ」と。
仰るとおりです。多分その時は悔し紛れに「みんなが鈴木さんみたいになれると思ったら大間違いです」と言ったような気がするが。
先の本、書店で売ってるのかな? 凄いことが書いてある。橋下が大阪市長になって職員の刺青に関するアンケートをとったというニュースに関して、昔は、弱きを助け強きを挫いた遠山の金さんが、ここぞというときになると、もろ肌を脱いで刺青を見せ、それに市民はやんやと喝采したのに、大阪市民も橋下もナニヤッテンダ、ドーナッテンダ、とか。
先の震災の際、新聞もテレビもどうして死体を見せなかったのか、とか。
鈴木さんの劇団SCOTの通常の稽古は、朝の10時半から夕方の6時まで。でも、夕食のあと、大半の劇団員は10時過ぎ、時には12時過ぎまで自主稽古をするのだとか。凄すぎる!
一年ほど前だったか、大阪の某劇作家・演出家・劇団主宰者に、竹内さんみたいに稽古をやってたら、みんなバイト出来ないじゃないですか? と言われた。
残念ながらそんな事実はないのだが、この言葉からも明らかなように、彼の劇団は普段稽古なんかしてないのだろう。そんな素人集団(鈴木さんの言)に、決して少なくない国からの助成金が毎年支払われているのだから、まことにこの国は演劇人にとって優しい国である。

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