竹内銃一郎のキノG語録

卒業公演パンフ用原稿2012.09.27

めでたい、ありがたい。
何かが終わるってことは新しいことを始めるきっかけにもなり、めでたいことだ。わたしも来年度をもって大学を定年になる。実にめでたい。そこでこの場を借りて、十数年の教員生活から学んだことを以下に記したい。あまりに気の早い回顧・総括ではあるが。
「先生と呼ばれるほどバカじゃなし」とは、昔からよく使われるフレーズである。赴任してから数年の間、わたしのことを「先生」と呼ぶ学生は少なかったように思う。多くは「竹内さん」。親しい学生たちからは、「タケさん」「ジュウちゃん」などと呼ばれていた。それが今では、大半(すべて?)の学生は、わたしを「先生」と呼ぶ。歳を重ねるにしたがってわたしへの敬意が高まったとは思えず、また、バカだと軽く扱われているとは思いたくないから、多分以前に比べて学生との距離が出来たのだろう。原因は知らない。
教師は、改めて言うまでもなく、教育を施すものだ(施す!)。
教師は生徒・学生になにごとかを教える。これも古より言われているように、教えるとは教えられることでもある。わたしは5年ほどまったく戯曲などと言うものを書かなかった。親しい人々には作家廃業を伝えてもいた。4年前に学生たちと、いろんな行きがかりからDRY BONESなる劇団を立ち上げ、その翌年、5年ぶりに戯曲を書かねばならない破目となった。大丈夫か? 書けるのか? と、不安とともに自問したが思いのほかスラスラと書けた。何故かと考えてひとつの結論を得た。赴任して以来、のべにして数百の学生たちの手になる決して面白いとは思えぬ戯曲を読み、そして個人指導の場で、ここはいらない、この台詞はいいなどと多くの言葉を費やしてきた、その作業からわたしはいつの間にか多くのことを学んでいたのだ。ありがたい「教え」となった。
多くの方々は、教育とは教え育てることだと思われているようだ。わたしは少し違う。
太宰治の数多ある名言のひとつに、「親はあっても子は育つ」というのがある。これに倣って、「教師あっても学生は育つ」。即ち、教師などいてもいなくても育つ学生は育つし、時には、教師という存在が学生の育ちを妨げることだってある、ということだ。
今年の演劇の卒業公演は、画期的なものだ。学生の作・演出による公演は、われわれの専攻では初めてのこと。なんにせよ、「お初」はめでたくありがたいものなのだ。
先に、学生の決して面白いとは思えぬ多くの ……などと書いたが、もちろん例外はあって、福谷の書いた文章・戯曲はそういうものだった。入学当初は面白いものを書いていたのに、学年を重ねるごとに右肩下がりとなった例が多い中、今回上演される戯曲は、俗な形容になるが世に出して恥ずかしくない作品となっている。めでたい。このことを可能にしたのは福谷だ。教師の関与などさほどのものではなかろう。様々なひとやモノとの出会いの中で、福谷はひとりで勝手に育ったのである、とわたしは思う。
教えられるが育てられない。この虚しさを歓びに変える倒錯した神経がなければ、「先生」と呼ばれる気恥ずかしさには耐えられない。これが十数年の教師稼業から得た、おめでたい確認であり、ありがたい教訓である。
公演の成功を期待する。
上記の文章は、勤務する大学・専攻の卒業公演当日に配布されるパンフ用に書いたもの。
中に、「教えられるが、育てられない」とあるが、教えることさえ出来ないと実感させられた<事件>について以下に記す。
他でもない、上記の文章を依頼してきた学生のことだ。
10日ほど前だったか、夜遅く、依頼のメールが届いた。そこに内容も長さも特に指定しないという意味のことが書いてあって、まずカチンと来る。ありえない。5千字書いていいはずはないし、わたしの身辺雑記でいいはずもない。そこは汲んで下さいよと言うことだとは思ったが、ずいぶんナメタ依頼だと思ったのだ。
これでは書けないと返信すると、800字で自分たちへの励ましの言葉をなんて返って来た。始めからそう書け!
ちょうど(?)「蒸気愛論」が暗礁に乗り上げてた時なので、気分転換にとさっさと書いて、書けたから送付先のメアドを教えてくれとメールをしたらマル1日、なんの音沙汰もない。
翌々日、研究室のパソコンにメールが来ていたが、そこには、ここへよろしくみたいなことが一行あるだけで、ありがとうございますの一言もない。
ナンナンダ、アイツハ!
よほどもう送らずとぼけてやろうかと思ったが、さすがにそれは大人気ないと思い、昨日原稿を送る。
と、これまたそれからマル一日経ったのに、なんの音沙汰もない。
バカか無礼か。どっちにせよ、こんな手合いとの付き合いももう限度。一日も早く定年を迎えたいと更に強く思った次第でありました。

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