竹内銃一郎のキノG語録

この67年間に、いったいなにがあったのか。 船橋の事件から②2015.04.30

少女Cは、A・B間に生じたトラブルの原因について、奇妙な、わたしには理解しがたいことを話していた。Aは、仕事をするための身分証明書が必要だといって、Bに卒業アルバムを借りたが、いつまで経ってもそれを返さず、Bの友人たちにも卒アルを借りたのに返さず、そのことでBは、もの凄く怒っていた、と。なぜ卒アルが身分証明書の代わりになるのか? 取材者もおそらく「どういうこと?」と聞いたはずだが、ニュースではそれ以上の言及はなかった。問いただしても要領を得ない返答しかかえって来ないので、その部分はカットしたのだろう。

この事件は分からないことだらけだ。Aは友人と歩いていたところを、4人組の車で連れ去られたらしいのだが、友人はその時、Aの危険を察知出来なかったのだろうか。また、警察が動き出す前に、Aと連絡がとれない、殺されて埋められたんじゃないか、という情報がLINE等で飛び交っていて、Cの他にも、Bの友人だという少年が、Bからひとを殺して埋めたという話を聞いていた、とTVで話していた。両人とも冗談だと思っていたというのだが、しかし。Bの友人ならば、彼女のアブナイ交友関係もある程度は知っていたはずで、だとすれば、「もしかしたら?」と考えて、警察への通報はともかく、しかるべき友人や家族等にこのことについて相談してもよさそうなものだが、なぜそうしなかったのか。彼らの周りには「しかるべき友人・大人」がいなかったということなのかもしれないが、Aも彼女の周辺にいた友人・知人も、「幼稚」というより、「生きることへの執着」が決定的に欠けているような気がしてならない。

内田吐夢の「飢餓海峡」を見る。これが3度目なので、ストーリーのおおよそは知っていたが、例によって、細部はほとんど忘れていた。力作。左幸子が演じる娼妓(杉戸八重)の、三国連太郎演じる犬飼への、10年にわたる一途な愛の結末があまりに哀れで哀しい。

八重が中卒で娼妓になったのは、わが身を売る他に、貧しい家・家族を助ける手立てがなかったからだ。犬飼と出会ったのは青森・大湊の店。一夜を過ごした翌朝、女の身の上に同情した男は、彼女に大金を手渡して去る。八重は会った最初から、好意以上のものを犬飼に感じていたが、その身にあまる大金=望外の優しさによって、彼は彼女の忘れられない男になる。

殺された船橋の少女Aは、高校を中退し、家を出て、風俗店で働いていたようだ。そのキッカケとなったのは、ホストに入れあげ、多額のお金が入用になったためらしい。友人・知人からお金を借りまくっていたのも、そのホストに貢ぐためであったという。

ともにわが身を売り、悲惨な最期をとげたふたりだが、あまりの違いに改めて呆然とする。八重と犬飼が出会ったのは昭和22年(わたしの生まれた年!)とされている。この67年の間に、いったいなにがあったのだろう?

 

 

 

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