わたしの背中の殻には悲しみがいっぱい …2015.05.07
ドストエフスキーの「悪霊」(光文社文庫版)は、2巻目に入ると俄然、複雑怪奇なその容貌を露にし始める。この先がどうなるのか知っている分、余計に怖くなり、本を閉じて、録画してあった「伝説の不死鳥コンサート 美空ひばりの残したもの」を見る。一ヶ月ほど前、BS朝日で放映されたもので、コンサートの模様を中心に、ここに至るまでのひばりの物語と、彼女の身近にいた人々による「ひばり」の証言とで作られていた。
ひばりの歌は、わたしの歴史と重なっている。わたしの身の上は、さほど哀しくも切なくもないもののはずだが、しかし、ひばりの歌は、例えば、「花笠道中」のようにノー天気なものであっても、わたしの涙腺を刺激する。多分、歌によって甦る思い出が懐かしく、それで落涙してしまうのだろう。とりわけ、このコンサートをわたしはナマで見ていることもあり、ああ、このひばりはもういないのだ、あの日の前後の出来事ももう記憶の中にしかないのだという思いがことさらにつのって、涙が止まらなくなってしまったのだった。
誰もが知るようにひばりは天才で、米山正夫作詞・作曲の「車屋さん」「お祭りマンボ」や、船村徹作曲の「ひばりの佐渡情話」(作詞西沢爽)「みだれ髪」(作詞星野哲郎)等は、人知を超えた超絶技巧の持ち主であるひばりに応えるべく、彼らのもてる力のすべてを尽くして作られたもので、ひばりなくしては作られえなかった傑作だ。しかし。今回改めて発見したのは、ひばりの「天才」がいかんなく発揮されているのは、前述の、歴史的といってよい名曲においてではなく、意外にも(?)、小椋佳作詞・作曲の「愛燦燦」であったこと。歴史的名曲は、ひばりにしか歌えない難曲なのだが、「愛燦燦」は、素人でも歌える易しい歌だ。そんな易しい歌を、持ち前の超絶技巧を露にすることなく易しそうに歌う、そこに超絶技巧を超えたひばりの「天才=究極の域」をわたしは感じたのだった。小椋自身が歌うソレとは恐ろしいほどに違う!
ひばりの「愛燦々」から受けた感銘と同様のものを、美智子さまの朗読に感じた。美智子さまとは、現・皇后である。
昨日、BS朝日で放映された「黒柳徹子のコドモノクニ」という番組でのこと。なぜこんな番組を見たかというと、新美南吉が取り上げられていたからだ。南吉は、わたしが生まれた半田市が生んだ唯一といってよい有名人で(と書いても知らないひとは知らない)、わたしと同じ高校(彼は前身の旧制中学)の出身。因みに、前回触れた「戸塚ヨットスクール」は、半田から電車で20分ほどいったところにあり、昨日、横浜戦に続いて悲惨な結果を招いてしまった、中日の抑え投手・福谷は、半田の隣にある横須賀高校の出身である。いや、そんな話はともかく。
美智子妃は、幼少のころに、南吉の童話「でんでんむしのかなしみ」を読んで深い感銘を覚え、大人になってからも繰り返し、この作品を読み返していたという。番組では、国際児童図書評議会世界大会用に作られた、ビデオ基調講演の一部が紹介され、そこで彼女は、「でんでんむしのかなしみ」を朗読されているのだが。俗なる輩がしがちな、「気持ちを込めて」読むのとは対極の、一語一語をありうべき音で読む、その「読み」の正確さが、そこで語られている内容を明快に提示する、それがひばりと同じで、さらに言えば、前回触れた、触手話で会話する夫婦の言葉と同じだったのだ。そのお声自体も素晴らしい。わたしは天皇崇拝者ではないが、ここは「お声」としなければ罰があたる、そう思わせる崇高な、そしてこの上なく優しい「お声」なのだ。
今回のタイトルは、この作品の一部を引用した。ユーチューブで、「でんでんむし…」の朗読を聴けるが、もちろん、美智子妃のものではなく、読み手の善意は分かるが、残念ながら、作品のもつ品位と真意とはほど遠いもの。「かなしみ」などまるで感じられない。(この稿続く)