竹内銃一郎のキノG語録

波濤を超えて    「ジェリーフィッシュ」を見る③2015.05.21

昨日は夕方になると日差しも穏やかになり、涼しい風も吹いていたので、3日ぶりにいつもの公園に出かける。一周570米ほどのコースを速歩で2周した後、久しぶりに500米を走ってみると、セーブして走ったのに、これまでの記録を10秒更新! それは、記録と呼ぶのは恥ずかしいようなタイムなのだが、とりあえずの目標である「1キロを5分以内で」が現実味を帯びてきたことを実感させるものだった。3~5キロ減量すれば、明日にも軽く目標クリアとなれるはずだが、体が重荷になっている。

「ジェリーフィッシュ」の3人の女性も、軽やかに走ることを許さない<事情>という重荷を抱えている。その事情とは、いずれも、家族(関係)がもたらす困難だ。

パティアにとって、同居もしていた男との別れがことさらに辛いのは、彼女がまだ幼かった頃に両親の離婚を経験していて、それが心の傷となっているからだ。彼女は明らかに、ふたりとの「ありうべき親子の交流」を求めているのだが、父親は、彼女とそんなに歳の変わらぬ女と付き合っていて、ほとんど連絡はなく、母親も、時々電話をかけてはくるのだが、いつも「自分の都合」をいいたてるばかりで、だから、パティアの心の傷は今なお消えることがない。

ジョイは、生活のためとはいえ、フィリピンに残してきた息子に対する申し訳なさでいっぱいだ。その上、彼女は英語なら話せるのだがアラビア語はほとんど出来ず、介護を担当することになった気難しい老女は、アラビア語とドイツ語しか話せないので、「お客」の要求にうまく応えることが出来ない。老女には娘がいて、本来ならば彼女が親の面倒をみればいいのだが、娘は俳優で公演が間近に迫っているため、ジョイにお世話を頼んだのだった。でも。この母娘の関係は、パティアの母親とのそれの「映し絵」のように描かれていて、そもそもほとんど交流がないのだ。ここら辺も憎いほどうまく出来てる。

ジョイが娘の公演のポスターを見て、老女に一緒に見に行こうと誘う。ブツブツ言いつつ老女はそれに応えるのだが、その芝居は、「ハムレット」を素材にした、わけの分からない「前衛劇」で、老女は客席で寝てしまう。それを知ってか知らずか、久しぶりにひとり暮らしの老女の家を訪ねた娘は、母親に芝居の感想を聞く。これをキッカケにふたりの縒りが戻ればと思ったのかもしれない。しかし、母親からは期待していたような感想が聞かれず、「あんなにべたべた触ったり触られたりしてるのはおかしい」という言葉に、娘は「あなたはわたしにほとんど触れようとしない母親だったものね」と言って席を立ち、「もうここへは二度と来ない」と言い放って部屋を出て行く。この場に立ち会ってしまったジョイには、言葉は分からないが母娘の関係の破綻は見て取れ、それが哀しい。

自らの愚かしすぎるケガのために、ケレンと彼を乗せて「新しい生活」を目指した船は、港を離れる前に座礁してしまったが、運よく、ふたりは同じホテルの最上階にあるスイートルームに移れることになる。彼がエレベータで知り合った女性が、事情を知って、部屋の交換を申し出てくれたのだ。にもかかわらず。ケレンは、彼と女性の関係を疑い、それがあまりに執拗なので、またもや彼は部屋を出て行く。再びひとり残されたケレンは、前の部屋にいた時と同様、引き出しから便箋を取り出して中途で終わっていた詩の続きを書こうとする。が、そこにはすでに、自分が書いたものとは別の文字が書かれていて、それは「遺書」としか理解の出来ないものだった。ケレンは慌てて、これを書いたはずの彼女を救出すべく、足のギブスを果物ナイフで切り裂き、そして …

ここでも、遠く離れていたはずのふたりの女性が、思わぬ形で「繋がる」ことになるのだが、この先に置かれた、感動的で哀しすぎる「結末」は、書かずにおこう。

 

 

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