竹内銃一郎のキノG語録

死ぬのは他人ばかりなり 若松孝二、舗道で死す2012.10.23

昨日はジャイアンツCS大逆転勝利! で、今朝、スポーツ新聞を買いに出かけて帰り道、雨降りの日は危ない、足を滑らせて後ろ向きにひっくり返る。うまく受身をとったからよかったものの、下手をしたら後頭部を打ち付けて病院行き、もしかしたら一巻の終わりだったかもしれない。
そう、わたしは受身をとったのだ! なんだろう65歳にしてこの驚くべき運動神経!
若松孝二が亡くなった。享年76歳。
若松氏は、わたしの師・大和屋さんのいわば兄貴分。日活と言う映画会社をやめて東南アジアを旅してるとき(ドキュメンタリー映画を撮っていたのかな?)、お金がなくなって「お金を頼む」と日本にいた若松氏に連絡。日本に帰ってきたら自分のプロダクションで映画を撮るという約束でお金を貸した、という ……
それで、大和屋さんは「裏切りの季節」を撮り、それが評判となって、「荒野のダッチワイフ」そして傑作「毛の生えた拳銃」が撮れたのだった。
若松氏は、わたしの年代の映画ファンの間では、おそらくもっとも人気の高い映画監督ではなかったか。
わたしも80年代までの若松作品はほとんど見ているはずだ。最大の傑作は、唐十郎主演の「犯された白衣」。
また、わたしの戯曲「檸檬」は、若松映画からインスパイアされて書かれた。
例のごとく題名失念。刑事がふたり、団地の一室にこもって、向かいの団地の一室を監視している。その部屋には 全共闘(新左翼?)の元闘士がふたりの女と同棲していて、四六時中セックスに耽ってる。
刑事たちは覗きをしているわけではない。ま、結果としてはそういうことになるのだが。彼らは公安の刑事で、男がいつかまた革命戦士としての活動を始めるのではないかと監視しているのだ、始めたらとっ捕まえようと。
でも男は前述したしたように、夜となく昼となくセックスしてばかりいて一向に動き出さない。刑事たちはもう彼は堅気になったのだと見なし、監視をやめて部屋を引き払う。と、それを待ってたかのように男は闘争に向けての第一歩を踏み出す。
そんなお話ですが。
若松孝二がなんで人気があったか。それはもう単純に全共闘・新左翼にいちばん近いところにいたからだろう。現に若松プロには後年、パレスチナにいった足立正生他の過激な人々がいたし。でも、それだけじゃない。ピンク映画という、名もなく貧しいところで過激な映画を作っていたというそのことが、純だったわたしたちには美しく思えたのだ。なんて美しい時代だったんだろう!
若松氏は先に挙げた大和屋さんや足立正生以外にも多くの映画人を生み出し、あるいはプロデューサーとして映画作りのサポートしてきた。それは他の追随を許さない。60年代半ば以降に限定すれば、日本映画界における最大の功労者といっていいはずだ。
若松氏の名が世に広まったのは、ベルリン映画祭(もしかしたら別の映画祭かも)に出品された「壁の中の秘め事」が当地で良くも悪くもスキャンダラスな評判となり、それを日本の某映画評論家が、「国辱もの」と大新聞に書いたからだ。
なぜ某氏がそう思いそう書いたのか。一言で言えば映画を見る目がないからだが、もともと見えない目をさらに見えなくしたのは、それがピンク映画と呼ばれる出自を持っていたからで、要するに偏見・差別が前提にあったからだ。
凱旋興行でわたしも見たが、なにかとても真面目な映画で、もっと過激な内容を期待していたわたしは肩透かしをくらった。わたしの周辺もほぼ同意見ではなかったか。
新聞等で、著名人の死にコメントを寄せるひとは大体決まっていて、要するに無難なことしか言わないひとで、早い話がそれなりの名前があればどうでもいいわけで、スポーツ報知には映画評論家品田雄吉が文字通りどうでもいいコメントを寄せていた。もちろん、彼が若松映画を強く支持していたわけではない。
そんなことしてて虚しくないか?
マスコミがひどいのは今に始まったことではないが、以前は、間違っってるとはいえ「正義感」なるものが彼らのバックボーンにあったように思うけれど、例えば読売の「森口氏」に関する誤報とか週刊朝日の「ハシシタ」問題とか、あまりにひど過ぎる。あれだけブチ上げておきながら連載中止とは! 週刊誌、売りたいんでしょ。正義感なんかもう売りにならないと気づいたわけでしょ。続ければいいじゃない、絶対売れるんだから。
若松氏、横断歩道じゃないところを渡ろうとして、車に轢かれたらしい。いかにもである。

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