竹内銃一郎のキノG語録

この一週間の出来事2015.06.04

5月29日。松本くんから、扇田(昭彦)さんが亡くなられたことを聞く。氏の批評には何度も励まされた。忘れられないのは、「竹内は滅公奉私の作家だった」というもの。多分、情報誌の「シティロード」に掲載された、一年の回顧の中で書かれたものであったように記憶しているが、間違っているかもしれない。「だった」と過去形になっているのは、わたしの劇団「斜光社」がその前年の暮れに公演した「Z」を最後に解散し、わたしも芝居はもうやめると公言していたからだ。「滅私奉公」ならぬ「滅公奉私」。わたし(の作品)への批評(のことば)にこの時ほど、わが意を得たりと思ったことは、これ以前にも以後もない。もう30年以上も前の話だ。

30日。新幹線で夜の8時20分くらいに東京駅到着。我が家に帰るべく在来線の電車に乗って、5分も経たぬうちに急停車。何事かと思えば、地震でしばらく動かないという車内アナウンス。揺れには気づかなかったが、M8.5という数字の大きさに仰天。結局、2時間半ほどの足止めを食らい、特になにをしたというわけではなかったのだが、ひと仕事したような疲労を覚え、明日はダービーだ! と勇んだ気持ちがすっかり萎えてしまう。

31日。12時、高田馬場のビッグボックス内にあるネットカフェ(?)に集合。POGメンバー4人、ここでダービーをTV観戦。わがリアルスティール、絶好の位置につけながらレースを運ぶも、直線伸びず4着 😥 こんな馬では…と不可解に思っていたら、後日、レース中の故障が判明。去年の春の天皇賞のキズナと同じだ。勝ったドゥラメンテの馬主(もちろん仮想の)であるサトーさん、喜ぶこと喜ぶこと。グヤジー。レース終了後、本年度のドラフト会議。来年のダービー馬探しだが、しかし。わたしのドラ1は牝馬だ。ヒヒーン。

6月1日。朝10時、池袋にある東京芸術劇場で、小野寺(修二)さんと会う。来年の秋に、彼の演出で「あの大鴉、さえも」がこの劇場の制作で公演されるので、ちょっとご挨拶を、ということだった。失礼にも、彼のことはなにも知らなかったので、ネットで調べたら、いまはもうない「水と油」のひとだった。「水と油」は一度だけ見ている。ダンスというより、マイムのグループ。想定していた以上に面白かったので、次も見ようと思っていたら、それは解散公演だったのでガッカリしたことを覚えている。楽しく雑談。「大鴉」の制作担当者から、劇場での上演が予定されているいくつかの公演チラシをいただく。申し訳ないけれど、どれもまったく食指が動かない。

2日。散歩がてら行った図書館で、前日の新聞を見ていたら、文学座の演出家、高瀬久男氏の訃報が。氏とは舞台をともにしたことはないが、文化庁主催の戯曲賞の選考委員として2度、席をともにしたことがあり、他の委員の方々が、YES・NOをはっきり言われない中で、氏の明晰な発言が快く、また、頼もしくも思っていた。まだ若いのに …。

3日。暇なので、本棚にあった古い雑誌の中から、「美術手帖」の1973年2月号を抜き取り、読む。「土方巽の”踊る″」と題された特集を読もうと思ったからだが、奇しくも、前述の扇田さんが、「72年<民衆劇>とのかかわりのなかで」というタイトルで、前年の演劇シーンを回顧する文章を寄せていた。この文章の最後のところで、「庶民劇の系譜として特に印象に残った72年の舞台として」、すまさんと太田豊治氏の「贋作ゴドー待ち」と中村座の「説教強盗・玉の井余譚」を挙げている。ああ、皆さん、お亡くなりになってしまって …

4日。京都へ帰る車中で、前述の「美術手帖」を熟読。土方巽に関する文章の中では、詩人の鈴木志郎康の文章と、唐津優子という、新宿西口で露天商を営んでいるらしいひとの<お喋り>を楽しく読んだ。それにしても。この雑誌に寄せられた言葉の温度と、前述した最近の公演チラシのそれとの、あまりの落差に愕然としてしまう。

 

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