竹内銃一郎のキノG語録

ディープ!  「悪霊」読了2015.06.14

「悪霊」はとんでもない小説だ。「とんでもない」は、「くだらない」を超える、わたしの最上級の褒め言葉である。

3部に入ると物語は一気に加熱する。2章の終わりで、丸焼けになった家の中からふたつの死体が発見されると、まるでそれを待っていたかのように、先を争うようにして、主要人物たちが次から次と命を落とす。光文社文庫版には、栞仕様の主要人物表がついているのだが、そこに書かれている18人の内、7人が亡くなり、その7人の中のひとりであるシャートフの元・妻と生まれたばかりの赤ん坊も亡くなるので、合計9人が、短い間に、殺され、自殺し、病死するのだ。小説では味わったことのないスピード感、ドライブ感! ディープインパクトが、最後方から追い上げ、先行する他馬を次々にごぼう抜きしていって、なお、最後の直線で見せたあの鬼脚のような!

正直なところ、わたしには難しいことは分からない。この小説は、書かれた当時のロシアの混乱した社会状況が反映されているが、それに関してわたしはほとんど無知と言ってよく、なにより、全編を覆っているといってよい神(の存在)をめぐる議論や思考など、ほとんどわたしの関心の外にある。それでも、面白いものは面白い。先に、栞にある主要人物は18人と書いたが、実際はそんなものではない。おそらく30人を優に超える人物が登場し、おまけにいずれも常軌を逸したと言ってよい者ども。それらがとにかく喋りまくり、走り回り、過剰なエネルギーが蕩尽される場面が絶えることなく延々と続く。それが読む者(わたし)をわくわくさせるのだ。

書き上げるまで2年を要したようだが、まるで自動筆記で書かれたような文章。とりわけ、3部の1、2章で描かれる「パーティ」が圧巻だ。作者がその現場にいて、いま目の前で起こっている事象を、複数のカメラを駆使して、モニターの映像を切り換え切り替えしながら、10本の手を使って書いているような臨場感。ドストエフスキーは百年にひとり現れるかどうかという天才なのではないか。今更ですが。

ネットで調べたら、これまでにワイダ等がこれを映画化しているようで、また、「地点」が劇化・上演しているらしい。うーん。なんか間違ってる気がするが。映画化するなら、監督は内田吐夢がいいと思うが、もう亡くなっているので、現役ならば、「私が、生きる肌」のP・アルモドバルのような、フツーじゃないひとがいい。だって、フツーの小説じゃないんだから。

 

 

一覧