人生は思いもよらぬことに満ち満ちている。 「ランドルト環」ノート①2015.07.13
何回か前に、チェーホフの「馬のような名字」の面白さに触れ、この中の短編をひとつにまとめて劇化出来ないか、と書いたが、その時はなにも具体的なものはなかった。それが、たまたま机の上にあった、多分、岩波新書に挟んであったものだろう栞に書かれてあった「ランドルト環」という言葉に、ビビッと来て(古いね、どうも)、これをタイトルにしたら書けるのではないかと思い立つ。
ランドルト環とは、「視力検査に用いる『C』字形の指標のこと。」と、その栞に書かれている。そこから、形は同じだが、開口部(?)の位置が違う、チェーホフ発信の複数の物語を組み合わせて …と、劇化へと導くアイデアが浮かんだのだ。
そこで、久しぶりに、「馬のような名字」の翻訳者でもある浦雅春の「チェーホフ」(岩波新書)を本棚から取り出し、頁を繰ってさほどしないうちに、次のような、チェーホフが友人のスヴォーリンに宛てた手紙の引用が。1892年に書かれたものらしい。
私たちには手近な目標も、遠い目標もありません。心のなかは玉でも転がせそうなほど空っぽです。私たちには政治もない、革命も信じない、神もなければ幽霊も怖くない。私などは死も盲目も怖くない。何も欲せず、何ひとつ希望も持たず、怖いものなど何もない人間が芸術家になれるはずがない。これが病気であるのかないのか、そんな呼び名はどうでもいいのですが …
オッと、これは?! そうだ、前々回、城定秀夫の「悲しき玩具 ~」と沖島勲の「ニュー・ジャック&ベティ」を比較して書きたかったのは、こういうことだったのだ。城定=チェーホフというのは、あまりに大胆な仮説だが、当たらずといえども遠からず、チェーホフの諸作同様、城定の映画には勇ましさの欠片もなく、そこにあるのは、笑いと切なさ、そして、いじましい人間の肯定だ。
そんな「いじましい人間」の典型が、「小役人の死」の主人公である。オペラを見に行った際、上演中に思わず彼はくしゃみをして、その時、思わず吐いてしまったつばが、前の席に座った男の首筋あたりにかかってしまう。気がつくと、それは勤務先の上司だった。もちろん、すぐに詫びを入れるが、もう観劇どころではなくなってしまう。幕間にも侘びを入れ、上司は「もう忘れた」と言ったのだが、その目は怒っているように見え、それが気になって、翌日にも勤務先で侘びを入れ、そのまた翌日にも …。上司はそのしつこさに腹を立てて、「出て行け!」と、足を踏み鳴らして、怒鳴る。そして、以下のような結末。「チェルヴャコフ(主人公)の腹のなかで何かがぷつりと途絶えた。(中略)放心の体で家に帰り着くと、制服を脱ぐのももどかしく、長椅子の上に横になると …そのまま息を引き取った。」
こんな風に終わる小説を、「とあるうるわしい宵」と始めるのだから、ほんとにチェーホフはふざけている。書かれたのは1883年とあるから、彼が23歳の時の作品だ。驚いてしまう。
120余年の時を超えて、上記の小役人に似たこの国の男のところに、ロシアの少年「ワーニカ」が書いた手紙が届く。それは、奉公先の靴屋での辛さを切々と訴えるもので …