お堅い話ですみません。2015.07.17
又吉の芥川賞受賞が、台風や新国立劇場建設問題や安保法制衆議院可決等の大きなニュースのために、片隅に追いやられてしまった。でも。受賞を辞退すればもっと大きく取り上げられたはず。太宰のファンなのだから、太宰が貰ってない賞をわたしごときが貰うわけにはいかない、芸人ふぜいが貰ってはいけない賞だ、とか言って。
同様に、大きなニュースのために追いやられた事件がある。岩手の中学生の自殺だ。この数年、いやもっとか。自殺したり殺されたりした少年・少女の多くが、両親のどちらかがいない子供たちだ。今回の場合も、報道されているように、同級生たちによる日常的ないじめがその理由のひとつであろうことは想像に難くないが、しかし。これまでの<事件>と同様、子どもが置かれていた過酷な状況を、親はほとんど知らなかったようだ。それは、親子の会話がほとんどなされていなかった証拠で、そのことも自殺の大きな遠因になっていると思われる。
だからといって、親の無責任を責めるつもりはない。子どもとの時間を持つことが出来なかったのは、多分、それなりの事情があったからだ。その事情とは、要するに経済的なものだ。むろん、推測以外のなにものでもないのだが。
今日のヤフーニュースによれば、アパレル業界のミドルクラス、つまり、高級でもない、ユニクロに代表されるような大衆向けではない、中流の上を対象にしている会社が軒並み苦境にたっているらしいのだ。アベノミクスで景気が上向いた、みたいな報道がなされているが、多くのひとが実感しているように、それは見せかけに過ぎず、かっては中流にいた人々がどんどん下に落とされていて、つまり、真ん中がすっぽり抜けて、上下の格差が拡大しているのだ。子どもの自殺や陰惨ないじめ等の問題の根底には、これがある。要するに、親たちは、とりわけ、片方がいなくなった親は、極端に言えば、食うために朝から晩まで働かなければならず、子どもの面倒をみる余裕がないのだ。それを子どもも分かっているから、「学校でこんなことされてて …」と、口に出せないのだ。
今回の場合は、報道で語られている通りだとすれば、担任教師の無能は責められてもしょうがないが、しかし、教師や学校の不手際だけを責めても、問題の根本的解決にはならない。
「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書)の著者・水野和夫によれば、資本主義が瓦解する前に、「未来をつくる脱成長モデル」を創出しなければ、この国のみならず、世界はもうどうにもならないらしい。この本、呆然とするほど衝撃的なことが書かれているが、幾つかの統計・数字を示しつつ、わたしのような素人にも納得出来る内容となっている。