竹内銃一郎のキノG語録

今週のお出かけは …2015.08.19

「蕪村と若冲」展を見にMIHO MUSEUMに出かける。JRの滋賀・石山駅からバスで50分。そんな遠方にひとが来るのかと思いきや。バスの発車時間の20分前に石山に着いたのだが、なめたらあかんぜよと言わんばかりに、バス停にはすでに長蛇の列が。にわかには信じられず、大半は、美術館を所有している宗教団体の信者だろうと思いきや、これまたさにあらず。皆、美術館に吸い込まれていく。7~8割は女性で、そのまた7~8割が推定60歳以上。みな諸作品を食い入るように見ていて、玄人っぽい感想を交わしあっている。おそらく趣味で絵を描いている人々なのだ。

30年ほど昔。情報雑誌「ぴあ」の演劇担当者の取材後、雑談で、「ぴあ」の購読者は、どのジャンルの情報を目当てに雑誌を買うのかという話になり、半分は映画、残りの半分がコンサートで、以下、スポーツ、美術関係、演劇は数%で最下位だと聞き、その時は、なにかの間違いでしょと思ったが。このところの美術展通いで、遅ればせながら、それが疑う余地のない真実であったことを確認した。演劇に比べ、美術愛好家の裾野は圧倒的に広いのだ。

蕪村と若冲は、ともに1716年生まれ。若冲の生家が京都の錦小路にあることは、半年ほど前、TVのワイドショーで知った。40歳の時に、青物問屋を弟に譲り、隠居と称して絵描きに専念。蕪村は大阪の農家の生まれで、20歳くらいの時に江戸へ出て俳諧を学び、以後北関東、東北の各地を転々、40歳くらいの時に京都に移り、俳諧と絵画と二つの分野で活躍。同じ時期に京都に住まい、共通の友人知人もいたようだが、両者の交友を裏付ける資料はないらしい。

わたしはほとんど無知で、両者に関することも小指の爪の先ほどしか知らず、そんなわずかな知識から、蕪村は飄々、若冲は華麗、両者は両極の画家だと思っていたが、さにあらず。若冲の有名な「象と鯨図屏風」は、間近で見ると、やっぱり圧倒されて、よくよく見ると、象の尻を花が撫でさすっているようで、笑ってしまった。また「松尾芭蕉図」は、掛け軸であろうか、上方に芭蕉の発句が二句書かれてあって、下方にそっと墨で、ぼた餅をふたつ重ねたような芭蕉の絵。こういうのをほっこりと言うのだろう。見るものの頬をゆるませる。とてもいい。蕪村も「芭蕉図」を描いているが、感動したのは、芭蕉の「奥の細道」の全文を書き写し、よきところに挿絵を書き入れた巻物。漫画みたいな挿絵も楽しいが、芭蕉への敬意がこぼれんばかりに溢れているのだ。

帰りにショップで、図録と「蕪村トランプ」を購入。カード一枚一枚に、蕪村の絵が入っている労作(?)。これはお買い得 😛

 

 

 

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