竹内銃一郎のキノG語録

讃 フット! 彼等の漫才は<言語の海>がベースになっている2010.06.18

「漫才ヴィンテージ」を見る。ナイツの安定した、ほとんど大御所のような漫才にも驚いたが、もっとも賞賛したいのはフットボールアワーだ。笑いの量からいえば、中川家や笑い飯、それにサンドウイッチ等に軍配を上げるのだが、それらがいずれも手持ちのネタか、あるいはこれまでと同じ趣向のネタであったのに比べ、フットのネタは、わたしがあまり見たことのないものだった。いや、わたしが知らないだけなのかもしれないが。
通常のよくある漫才の始まりから始まるのだが、岩尾の形容の仕方に後藤が異を唱えるのだ。最初は、ファンの女の子の指が焼き芋のように大きかったと岩尾が言うと、焼かなくてもいいだろ、大きさを伝えたいのなら芋で十分だろうという。次に、そのファンのポシェットが焼きおにぎりが一個入るか入らないかの小ささでというと、そこでも、おにぎりでいいだろ、別に焼かなくてもと後藤が突っ込む。同種のやりとりがしばらく続いて、以下の展開は半ば予想通りであったが、まるで上質の不条理劇の一部を見ているような楽しさ。
もちろん、不条理劇風だからよかったと言いたいわけではない。ソレ風は、いまどきのコントではさほど珍しいことではない。ま、大半のモノはただの思いつきの域を出ないものだが。そのいい例が天竺鼠だ。ああ、そういえば、
うちの専攻にいた西野くんの「恋愛小説家」、最近はテレビで見ないけど、どうしたんだろう? 恋愛小説家もソレ風のコントを得意としてたが ……
フットの今回のネタは、誰にでもその面白さが伝わるのではないか。同世代と思われる、もうほとんど漫才をやらなくなったチュートリアルやブラマヨ、麒麟等のネタは、鋭いけれど狭い個人の生理がベースになっている。けれど、フットの漫才はもう少し広い、<言語の海>がベースになっているように思われる。だから、翻訳すれば外人にだって受けるはず。それほどの普遍性をわたしは感じた。この感じはほかにない。ヴィジュアル的には、志村けんと柄本明の芸者コントは、外人には鉄板ネタだが。
多分、まだ稽古が十分でないのだろう、スムーズに流れない箇所が幾つかあったが、それさえもわたしには好ましいものと映った。チャレンジしてるんだなあ、と。 多分、ネタを作って、稽古で練ってという手間が面倒であるためだろう、漫才を捨ててしまった(かに思われる)他のコンビから遠く離れて、彼らにはこのまま漫才の王道を進んでほしい。わたしは切にそう願う。

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