竹内銃一郎のキノG語録

PCによる現生人類とネアンデルタール人の出会いは可能か?2015.09.30

またまたPCがサボタージュ=破壊行為を敢行。修復に丸一日費やすはめに。振り回されてるなあ。実際、彼女(?)のご機嫌を損ねたら、予定していたことの70%くらいがストップしてしまうのだ。

今月中に、「ランドルト環」のプロットを仕上げて送ると、松本くんに約束したのだが。なかなかうまくまとまらない。豆腐は豆乳をにがりで固めて出来ている。そう。すでに豆乳は手元にあるのだが、それをまとめる「にがり」がみつからないのだ。

一昨日、四条烏丸に出かけた折、「にがり」を求めてジュンク堂に立ち寄り、「絶滅」を特集した『現代思想』を購入。それに載っていた誰やらの言によれば、ひとを介さずにPCとPCが通じ合って、そのうち、とんでもないことをしでかすような時代が来るかもしれないとか。オイオイ。

改めてここに書くことでもないのだが、ほんとにわたしはモノを知らないな。前述の雑誌の中の、長沼毅『世界をやりなおしても「考えるヒト」は生まれるか?』には、衝撃な事実(?)がこれでもかとばかり紹介されている。

ヒトゲノム(遺伝子)にはネアンデルタール人の遺伝子が混ざっている、とか。脊椎動物の種の存続に必要な個体数は千の桁で、実は、7万年前の世界人口は1万1千にまで縮小していて、絶滅寸前だった、とか。火山の大噴火で地球が凍りつき、他の多くの種が絶滅した中で、ヒトが少数ながら生き延びえたのは、寒さに強いネアンデルタール人の遺伝子を含んでいたお陰である、とか。現在地球上には70億を超えるヒトがいるが、遺伝子レベルでは、人種や民族の区別なく均質で、それはみな、7万年前に生き延びた1万1千人を共通の祖先としているからだとか、等々。

「ランドルト環」は当初、チェーホフの短編小説の幾つかをオムニバス風にまとめて …と考えていたが、なにかそれだけでは「職人芸」を見せるだけのような気がしてきて物足りず、このところわが国でも頻発している、少年少女がからんだ「事件」も絡ませたいと思うようになった。でも、これでもなにか足りない。わくわくしない。しないから次のステップが踏めない。

ネアンデルタール人を登場させることは出来ないか? とうの昔に絶滅したネアンデルタール人ならば、チェーホフが生きた100年前のロシアと、現在の日本を生きる少年少女を俯瞰し、両者を繋ぐパイプ役に、物語全体をひとつにまとめる「にがり役」になりうるのではないか?

 

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