竹内銃一郎のキノG語録

歌いたいから歌う、歌いたくないから歌わない。 ちゃんとやれタケウチ②2015.10.08

「エンケンさん」と書くと、なんだか「ビリケンさん」みたいでしっくりこないので、以下は敬称を省略する(ゴメンナサイ)。

エンケンの歌は、と言ってもCDを3枚しか持っていないのだが、ささやき・つぶやき系とシャウト系、二つの系がある。これはわたしの好みだが、前者の代表作は「カレーライス」で後者のそれは「不滅の男」だ。しかし、「夢よ叫べ」は、言うならばミックス系で、「まるでこの世のなにもかもが いやになっちまったのかい」という、囁くような呼びかけから始まり、「夢よ叫べ~~~」という長い長い、この地球の隅々にまで届きそうな絶叫、というより、激しい祈りの声で終わる。

囁きも呟きも、そして絶叫も、エンケンの歌声は、ちあきなおみと同様、一音一音一語一語がくっきりと、わたし(たち)の耳に届く。だから、彼の歌には通俗の臭いが微塵もなく、その歌が持つ、喜びや哀しみや馬鹿バカしさが、明晰な輪郭をもって聴く者に肉迫してくるのだ。

ユーチューブには、わたしの知るかぎり、「夢よ叫べ」は4本入っていて、その中では、「世界同時多発的フェスティバルFUKUSHIMA」と銘打たれた野外のライブが圧巻だ。エンケンは、見るからに「変なひと」で、彼を知らないひとはもちろん、わたしのように多少は知っているひとでも、彼が舞台に上がると、ちょっと引いてしまう。おまけに、このライブでは、アコースティックギターを弾きながら、「歌は国の宝です。電気はどんどん使えばいいのです」とブツブツ呟き、かと思えば、「ちゃんとやれ!」と大声で三度絶叫する。そしてその後に、「これは自分に言っているんです」と再びブツブツ。これで引かないひとはいまい。でも、歌が始まると …。歌の最後のフレーズでは、どこかから体内にポンプで空気を入れているのでは? と思うほど、「夢よ叫べ」の「べ」が延々と延々と続き、それをマイク前でゆっくりと、体を二度回しながら歌う。そして更に、歌い終わった後、あれは相撲の土俵入りの真似なのか、まるで江頭2:50のような(風貌が似ている!)奇妙なパフォーマンスを見せて舞台から引き上げる。

登場から退場まで、「誰がなんと言おうと、客が引こうが引くまいが、やりたいことをやるんだ」という強い意志で貫かれている。他のライブで、「よれよれになっても、やめろ、引っ込めと言われても、おれは歌い続ける」と宣言していた。エンケンは「ちゃんと」している。でも、40半ばで表舞台から退いてしまったちあきなおみだって、ちゃんとしている。いまは歌えない、歌いたくないと思うから歌わないのだ。言うまでもなく、彼らは、「こんな仕事は嫌だと思っても、やらなきゃ食えないからさ」と言いつつ、実は喜々として、その場しのぎの生煮えな歌や芝居や文章をご披露して一向に恥じない多くの輩の対極にいる。奇しくも。いまウィキで調べたら、エンケンもちあきなおみも、わたしと同じ年、1947年生まれだった。

ちゃんとしろタケウチ!

 

 

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