竹内銃一郎のキノG語録

世界が止まった! 山下洋輔トリオと「グランドマスター」2013.06.27

大学に入ってまだ間もない頃だから、今から40年以上も前のこと(ああ、なんて長く生きてしまったのか!)。一時期、新宿の歌舞伎町にあったタロー(TAROだったかも?)というジャズ喫茶に通い詰めていた。といってもまあ、月にせいぜい2、3度程度だったと思うけれど。田舎から出てきて都会の何もかもが物珍しいということもあったのだろうが、多分それより、粋がっていたのだ、その当時はもちろん、いまに至るまでジャズなどというものに耽溺したことなど一度もないのだから。
そもそもそこへ行くキッカケになったのは、これまた粋がって読んでいた日本読書新聞や映画評論という映画雑誌等々に、いま山下洋輔トリオが凄い、なんてことがよく書かれていて、その山下洋輔トリオが毎週のようにタローでライブをやっていたからなのだった。どこからそんな情報を得たのか? 歌舞伎町に映画を見に行ったついでに、ちょいと横丁探訪をしていて、名前だけは知っていたタローを見つけたのかも知れない。当時はサブカルチャー、というよりカウンターカルチャーの勃興期であり、その代表がジャズであり演劇であり、そしてマンガだったのだ。
というこれは長い前置きで。
前述の山下洋輔トリオの演奏というのは、それはそれは凄まじいもので、客が10人入れるかどうかという狭いスペースだったこともあろうが、もの凄い音量でもの凄いスピードなのだ。フリージャズといわれるヤツ。
その日は確か、従業員2人(1人だったかも?)を除くと聴衆はわたしひとり。だからその凄まじいものがわたしひとりに向かって押し寄せてきたのだ。小一時間もやられたのだろうか、終わって外に出ると、走っている車がすべてノロノロ運転をしているようで、ぶつけられてもかすり傷ひとつ負わないのではないかと思われ、実際そうしてみたい誘惑にかられもしたのだった。なぜそんなことになったのか。感動なんてものもあったのだろう。トリオがもたらした疾走感が残っている身体感覚を物差しにすると、走ってる車なんて止まってるのと変わらないように思われたのかもしれないし、単純に、あまりの大音量に耳がバカになって、聴力によって得られる外部の情報の入力量が減り、危険を察知する能力が一時落ちていたのかも知れない。
その昔、打撃の神様といわれた川上哲治は、絶好調時には投手の投げる球が止まって見えたというが、ま、これは関係ないか。とにかく、あのときの世界が止まってしまった感じはいまだに記憶の中に残っている。
最近、それと似たような体験をした。映画「グランドマスター」。物語の舞台は、日中戦争を挟んだ20年ほどの間の中国。その時代の様々な流派のカンフーのグランドマスターたちの文字通りの苦闘を、ブルース・リーの師匠といわれるイップマンを中心に描いたものだ。
冒頭、激しく降る雨の中でトニー・レオンが数十人を相手に戦うシーンから始まって、トニー・レオンとチャン・ツイ・イーが闘うシーン、この映画の白眉といっていい、雪降りしきる中、駅のホームで、すぐ脇を走る列車をバックに闘うツイ・イーと彼女の父の一番弟子。あえて俗な形容を使うが、いずれもまさにめくるめくような美しさで、この世の出来事とは思えない。もちろん、映画なのだからこの世の出来事であろうはずはないのだが、なんだろう、あのリアリティというか、肉迫感というか。
ずっと息を詰める感じで見ていたから、その体の状態がスクリーン上の出来事にシンクロし、それをリアルと感じたのだろうか。「この世の出来事」の中には、映画体験、観劇体験等々も含まれていて、だから、こういう経験(体感?)はこれまで一度もなかった、ということだろうか?
とにかく、車が止まって見えることはなかったけれど、見終って劇場を出ると、足が地につかない浮遊感、つまり、歩いているのだけれど、自分の足で前に進んでる感じがしないという感覚に襲われたのだった。
それから数日後、もう一度見ようと思って布施のシネコンに行ったら、上映時間を間違えていて、そのまま帰るのもシャクだし、かといって2時間以上もどこでどう潰していいか分からず、同じシネコン内でやっていた「フィギュアなあなた」を見ることにする。監督は石井隆。「名美」シリーズ他、これまで何本かこのひとの映画を見ているが一度も面白いと思ったことがない。それなのになぜ見た? 主役の佐々木心音という女の子が気になって、それでついつい誤った道へ ……
これが予想以上のひどさ。主役の男が酔った勢いで、肩がぶつかった相手に因縁をつける。ところが、相手はとんでもなくケンカの強い男のような女(!)であることが分かり、一目散に逃げて古い雑居ビルに迷いこむ。
追っかけは映画の基本のひとつだが、なんのスリルもサスペンスも感じられず、また、迷い込んだ雑居ビルがまるで魔窟のようでと、話はそうなっているのだが、そんな怪しさ・妖しさは微塵もない。更に具合が悪いのは、主役の男が愛してしまうフィギュアにそれを演じる女優さんの名前(心音と書いてここねと読む)をつけて、そう、完全に男を自分と重ねてしまっているのだ。いい歳こいて、気色ワルッ!
更に更に、許せないのは、心音さんがせっかく下半身を曝け出してガンバっているのに、ゼーンゼン、エロスの欠片も感じられないという …。
監督の無能と趣味の悪さ全開という映画である。
話が横道にそれた。で、そのバカ映画が終わると、すぐに「グランドマスター」へ。
先に、これまで映画等々でも見たことがなかったから「この世の出来事とは思えない」と感じたと書いたが、まさにそれで。つまり、一度もう見てしまっているので、もう「この世の出来事とは …」感はなく、 ただ、話のというか、画面の細部がよく見えて、とりわけ、登場シーンは少ないが、イップマンの奥さんの美しさとこの映画の中で占める位置・必要性がよく分かったのだった。
それにしても。トニー・レオンのかっこよさはどうだ。男の色気っていうんですか? よく分かりませんが。常に柔和な表情を浮かべ、格闘シーンになると当然、体からは相手を圧する気が漲るわけですが、でも、顔だけは柔和なんですよ。厳しい目をしているのに顔は柔和。なんでこんなことが可能なんでしょう?
実在したイップマンがどういうひとだったかは知らないけれど、トニー・レオンが演じたような、通常の人間など及びもつかないような人間は実際にいるのだと確信させる力が彼にはあって、それも<リアル>を感じさせたのかもしれない。

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