竹内銃一郎のキノG語録

拙作の上演希望が次々と舞い込む、その裏には?2016.02.09

「あたま山心中」の上演許可をもとめるメールが届いた。了解と返信すると、スタッフから戯曲のデータはないかと言われたのだが …、と折り返しの返信が。この戯曲は1989年に書かれたもので、その頃はわたし、手書きだったのでデータはないのだ。しかし。

これは戯曲集『ひまわり』に収められているのだが、とにかく恥ずかしいほどに校正ミス多々あり。出版社とは、『戯曲集5』として出す時に全部直してと話していたのだったが、校正ミスだけでなく、中身も気になるところがあったので、書き換え作業を進めているうちに、出版界の状況が深刻化し、本を出してとは言いにくくなり …というわけで、はや四半世紀が過ぎてしまったのだった。というわけで、これを機会に、とりあえず「あたま山心中」の改訂版を書くことにする。

二週間ほど前になるのか。「いまでも時々『夜空の口紅(ルージュ)』の台詞を思い出します」という、存じ上げぬひとからのツイートが届く。30年ほど前に、この<存じ上げぬひと>はヒロインを演じたらしいのだ。にわかには信じがたい話だが、しかし、こんな嘘をついてもなにか得があるはずはなく。なんとありがたいことと、わたしは感謝感激に打ち震えたのであった。と、これはまあオーバーですが。

先日、岸和田でわたしの「東京物語」が上演され、アフタートークを引き受けたので、久しぶりにこの戯曲を読む。「くだらないなあ」と何度か笑って、あとがきを読むと、「わたしの戯曲の上演申し込みは、平均すると年間50本ほどあり …」と書かれてあって驚く。「東京物語」が収められている『戯曲集4』は1997年に発刊されているのだが、この頃はそんなにわたしの戯曲は方々で上演されていたのだ。すっかり忘れていた。この10年は年平均20本くらいか。以前にも書いた気がするが、昔は高校生・大学生がよく上演してくれたのだが、いまはそれがグンと減って、50から20への下降はそれも影響しているのだろう。

わたしの戯曲が初めて活字になったのは、1978年に『新劇』に掲載された「檸檬」で、それからほぼ40年。以来、年平均で30回、この国のどこかでわたしの戯曲が上演されたとすると、合計1000回余。ひとつの公演にキャスト・スタッフとして関わったひとは、平均すると10人以上はいるはずだから、1万人以上が、わたしの戯曲を10回20回と読んでくれたことになり、観客総数も数十万人に及ぶはず。最近までまったくこの事実に気づかなかった。な、なんとありがたく、畏れ多いことか!!

しかし、気になることがある。このところの上演申し込みは、二人芝居、三人芝居がほとんどだ。「あたま山心中」も「東京物語」も「眠レ、巴里」も、このところリクエストが多い、「あの大鴉、さえも」もまたしかり。20年くらい前までは、多人数が出演する「恋愛日記」「みず色の空、そら色の水」が多く、これらは、主に大学生あるいは養成所の卒業公演でとりあげられていたように記憶している。おそらくいまはもう、大学の演劇サークルにも養成所にも、ひとが集まらならなくなってしまっていて、上演希望がめっきり減ったのは、戯曲の内容云々以前に、上演したくても必要人数が揃わない、ということではないかと推測する。厳しいなあ。

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